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中絶を迷っている人、中絶に苦しんでいる人へ。

カミングアウトをします。

以前の記事では、妊娠中絶をしたことがないような書き方をしていましたが、実は私は、過去に中絶の経験があります。

その体験談と、なぜ私がこの記事を書くことにしたのかをお話したいと思います。

LGBTQ、性の多様性、生理の貧困問題…

最近、多様性という言葉とともに性やセックスに関する正確な知識の啓蒙、教育が盛んになってきていると思う。

誰が誰を好きになって愛し合ってもいいし、セクハラを無くすために勇気をもって告発することや、子どもたちに正しい性知識を知ってもらうための活動(youtube)などがたくさん見られるようになった。

同性愛を隠す、それは世間の差別や偏見がひどいことが理由だろう。
レイプやセクハラも、何故か「された側」が中傷や差別を受けるというおかしな風潮があって、訴えることもできない。

性の啓蒙はLGBTQ・女性だけの問題ではない

中絶はどうだろうか?

やっぱり「赤ちゃんを殺した」と批判されるべき行為なのだろうか。
中絶をした人は「人間として恥ずべきことをした人?」

「罪を背負う人?」、そして「汚れた人?」

それは私・女性側だけのこと?
相手の男性も「汚らわしい」人と思われる?水子がつく?

知らなかったなら許されるのか?

避妊しなかった罪は同じなのに。

なぜ、女側だけが悩み選択や決定を迫られ、心身を傷つけられ、罪を背負うのか?

「避妊しなかったことよりも、中絶することが悪だ」という刷り込みで、誰にも言えず悩み一人で生むしかなく、そして殺すしかなかった女性たちがたくさんいる。本当にたくさんいる。

そんなつらい思いをもう誰にもしてほしくないと思う。

無知は罪

まだ、十代の頃。
私は妊娠をした。

性の知識も乏しく、避妊についても全く知らず、彼氏に避妊について言うこともできず、彼氏の膣外射精に身を任せ、妊娠してしまった。

まず最初につわりがきた。ひどいつわり。胃の中のモノ全部吐くくらいの。

生理も遅れていた。

どうしていいかわからず、彼氏と二人で大きな病院の産婦人科へ行った。(昔は妊娠検査薬なんてなかったのです)
今思えば、たくさんの妊婦や女性たちのいる待合室で、私たちのような若い子どものようなカップルは場違いだったと思う。

医師も困っていた。生むも生まないも決められない私に「もし、生まないならこちらの病院へ行ってください」と小さな婦人科を教えてくれた。

大きな病院では簡単な中絶手術はしてなかったのかもしれない。

生むということがどういうことか、どうなるのか、も全然わからなかった私は、生んだほうが良いような気もしていた。

けれど、気持ち的には「困っていた」。すごくつらかった。

全然、嬉しくなかったし、嫌だった。

学生だったし、昼食前に一人トイレでつわりが来て吐いていた時、とても悲しかった。
この教室の中で妊娠しているのは私だけなんだろうな、と授業を受けながら考え絶望していた。勉強なんて頭に入らなかった。

とにかく、誰にも気付かれずに早く「元の状態」に戻りたかった。

どうして良いかわからな過ぎて母親に相談した。
それは、母親との関係性が良かったからできたことで、自分は幸運だったのかもしれない。

離れて暮らしていた母親も悩んで悲しんだと思うけど、
「今の彼氏と結婚するかどうかもわからないんだから、今回は諦めたほうが良いのでは」と冷静に言ってくれた。

その言葉に救われ、私は小さな婦人科医に行き、中絶手術の予約をした。
彼氏も同意書を書いてくれた。(彼が逃げるような人でなかったのが救いです)

でも、手術は悲惨だった。

痛くてつらくて悲しくて、入院もないからボロボロになりながらタクシーで帰宅した。(行きは彼氏が送ってくれたけど)

初めての麻酔。真っ暗闇に落ちていく、奈落の底に突き落とされるような気の遠くなり方。
でも感覚はあって身体の内側をガリガリを搔き毟られる熱さを覚えている。
麻酔の気持ち悪さ。ひどい出血。痛みと罪悪感。

冷たい態度の医者や看護師たち。

泣いて、寝て、泣いて、寝て。何日も。
とにかく自分がひどいことをしたとしか思えなくて、死にたかった。
痛いのもつらいのも、自分が悪いからだと思っていた。

多分、急性抑うつ状態~うつになっていたんだと思う。
それから数年は死にたい気持ちがいつも隣にあった。
自分が生きていることが罪深く、許されないと感じていた。

ひどくショックな体験をして、きっとその時から、私はセックスに対して快感を持つことを嫌悪したのだと思う。

快感を持つことは、殺した赤ちゃんへの冒涜のような気がしたのだ。

だから、セックスが嫌いになった。

でも、どこかでその罪を上書きして帳消しにしたい気持ちもあった。

なので、その彼氏とは別れることなく、結婚した。結婚するしかないとも思っていた。
二人の子どもを産むことで、中絶した事実を消したかったのだ。

結婚してからすぐに妊娠した時は、本当に嬉しかった。
あの時、会えなかった赤ちゃんに、ようやく会えると思った。

そして、元気な子どもを産む

同じ妊娠なのに、気持ちが全く違ったことを鮮明に覚えている。
結婚し皆が祝福してくれる妊娠の嬉しさは格別だ。

毎日毎日、早く生まれてほしい、早く会いたいと願った。

つわりは同じようにひどくつらかったし、妊娠期間の長さやその他色々な出来事はたくさんあったけれど、出産が楽しみだった。

想像をはるかに超える死ぬような痛みを経験し赤ちゃんに会えた時、「やっと母親になれた」と湧き上がる嬉しさがあった。幸せだった。

その時に、私は中絶した事実を忘れた。
忘れたというか、思い出す暇もないくらい子育てが大変だったのだ。

中絶に対する呪いの言葉

「水子がつく」
「妊娠しなくなる。流産しやすくなる」
「身体が傷つき婦人系の病気になる」

全部、嘘でした。
そういう人もいるかもしれないけれど、私は全然ありませんでした。
その後も、元気な赤ちゃんを複数人生みましたから。そして、皆、私も、健康です。

中絶をした人に対する罰的なもの「何か罰が当たってほしい」と願う人の大げさなデマでしょう。
もちろん、健康的な被害にあった方もいるでしょうが、冷静に考えて、それは罰ではなく医療事故です。

寧ろ、病院にかからず、かかるのが遅れて、自分で出産したり流産したり、若いうちに無理に出産してしまったりの方が、健康的な問題が懸念されると思います。

中絶をしなくてはいけなかったつらい思いをした女性に向かって「呪いの言葉」を吐ける人の方が罰が当たってしかるべきでしょうね。

中絶は悪いことなのか

中絶=出産をしてはいけない状況なのにsexをした結果

という考え方が、まず根本にあるのではないでしょうか。

「生めもしないのにsexをするな」
「性欲ばかり」
「生活能力がないなら我慢」

特に日本では、まだまだ結婚前にsexをしてはいけないような風潮さえある。
女に対してだけ。処女神話的な。

性の多様性。結婚出産の選択制。
を考えるなら、誰が誰と、いつsexをしても良いのだ。お互いの確実な同意さえあれば。
楽しんでいいのだ。

もちろん、避妊をしっかりして。

中絶=出産をしてはいけない状況なのにsexをした結果
ではなく、
=避妊をしなかった結果。
単純にそれだけです。

以前に、性体験のない女性芸人がコンドームに関して学ぶyoutubeで、sexに対して
「怖い」
という表現をされていました。

その「怖い」の中身が、行為のことではなく、間違って性病になったり妊娠したりすることが「怖い」でした。

正しい性知識を知ってもらうためのyoutubeなどが、sexの恐怖心を植え付けている側面もあるのかもしれないと感じた一幕でした。


中絶は、もちろんしないほうが良いに決まっているけれど、悪いことではありません。

法律で定められている選択肢の一つです。

避妊のついてしっかりと伝えると同時に、万一の際には中絶をしてもいい、早く安全な病院に行くこと、信頼できる大人に相談すべきこと、その流れも、周知啓蒙すべきではないでしょうか?

中絶を悩んでいる人へ

中絶は悪いことではない。
罰は当たらない。
中絶したからって人生終わりではない。
ちゃんと結婚して子どもも産める。
個人には秘密があってもいい。
やましいことではない。
何年間かは悩み、苦しむかもしれないけれど、アラフィフになったらもう忘れてる(笑)
時間が解決する。
生きていれば、ちゃんと解決する。

大丈夫、本当に。

たくさんの女性が中絶をして生きている。
私のように。
もしかしたら、隣の家のおばさんも。

赤ちゃんを産んで殺さなければならないくらいなら。

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