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マンガ原稿が産業廃棄物になる時。


有名雑誌掲載の作品でもなく評判のヒット作もなければ、マンガ作品には価値がない、というのが世間の常識です。そして、正式にはマンガというのは「印刷された紙媒体」のことを指すので、その印刷元である生原稿となると「マンガ未満」の無価値な存在ということになります。(アナログの場合)

宮崎駿さんの生原稿とかは凄い値もつきましょうが、私などのマンガとなるとデータを抽出した後の生原稿はゴミと同じ扱いになります。
つまり産業廃棄物です。

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NYストリート上の作品群。


私が今恐れているのはその原稿がすべて返却されることです。現在、再掲載可能な作品のほとんどは編集プロダクションに管理してもらっています。編プロでは過去のアーカイブからテーマ別に作品を引っ張ってきて、再編集・再掲載する場合が多いのです。その度に行われる原稿の往復が煩雑であるので双方の便宜を考えてこういう措置となっています。

編プロにしても、多数のマンガ家の作品を管理するためにはそれなりに経費がかかるわけで、しかも、勝手に原稿を処分するわけにはいかないでしょうから、完全返却の時はいつの日にか来る。きっと来る。それが怖い。なぜ怖いかというと、返却された原稿は、作者自身が処分しなければならない、面倒な「産業廃棄物」となるからです。

先輩マンガ家さんは、すべてシュレッダーにかけてゴミで出すしかないっしょ、とさばさばおっしゃってましたけど、その方は週刊連載もしていた方なのでどんだけ原稿があるんだかわかりません。それを一枚一枚シュレッダーにかける姿を想像するたびになんともいえない思いになります。自らが生み出したもの、それなりの人生がこめられたものを、自らの手で無に帰す。価値のあるものを価値のないものに戻す。それは「成仏させる」という言葉を使うには寂しすぎる覚悟に思われます。

神奈川県にある「まんが寺」に電話したことがあります。原稿を「お焚き上げ」してもらえないだろうかと話すと「そういうことはやっていません」と聞きなれた返答をもらいました。(庫裏の天井に絵があるので「まんが寺」と呼ばれているだけなのですね・・・)

なんせ、スクリーントーンが貼ってあるので紙ごみじゃないんです。だから、地域によっては燃やすのはまずい。そうなると埋め立てゴミに・・。山を切り開いたゴミ捨て場所に風で飛び交う原稿を思い浮かべて暗澹たる気持ちになります。


ああ、情けない。

惨めだ。

悲しい。

切ない。


これが、クールジャパンと言われて久しい日本のマンガの現状です。読み捨てされる作品の末路です。世界に冠たる「ワンピース」やら「ドラゴンボール」などの高い山の裾野をなす大量の作品群の末路です。

・・・

NYセントラルパークでMANGA作品を展示した時のことを思い出します。まったく知らない人間の知らない作品にチップを払う人がそこには存在しました。自分の目でよしとしたものに価値をつける人がそこにはいたのです。それにどれだけ救われたか!アメリカに移住の可能性を探った時期もありました。なぜかというと、そういうことは我が母国では絶対起きないからです。

それでも、私はMANGAの可能性を捨てるわけにはいかない。いかないのです。なぜならそれが私の人生だからです。


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