走ることについて
29歳の6月の私
自分の時間はたくさんあるし
漠然となにかしたいなと考えていたけれど
「なにか」はとてもあいまいで
人よりもだいぶ重めの私の腰はまったく上がらないまま。
最近徐々に暖かくなってきて
カメラを持って出かけることが増えた。
写真を撮るという行為は
ただシャッターを押すだけではなくて
撮る人が「感じている時間」「見ている景色」を
切り取る行為だと私は信じている。
カメラに溜まった今までの写真を見ながら
ありきたりだけれど写真と文章をセットにして発信したいと思った。
なるべくnoteを更新することをここに宣言する。
とりあえず特にテーマは決めずにその時書きたいことを書く。
走ることについて
唐突だが、私は29歳になった今もよく走る。
駅まで、バス停まで、待ち合わせ場所まで、走る。
時間の感覚が昔から麻痺しているので
約束の時間ギリギリに行動することが多いのが原因だ。
子供の頃は漠然と、大人は走らない生き物だと思っていた。
自分が想像していた大人と
実際の29歳の私には大きなギャップがある。
そんな話を友人にしたら
「25歳になった時に走るのをやめるって決めてそれから走ってないよ」
と衝撃の告白をされた。
「大人」というのは自分で覚悟を決めて
ルールを作って守りながら生きている人のことなのかもしれないと思った。
私は自分でルールを決めるのもルールを守ることも苦手なので
一生大人にはなれないかもしれない。