ラマレラの人たちと再会 - 塩とクジラとイカットの関係
たばこと塩の博物館でイカット展。
民族考古学者、江川幹幸氏のコレクション。
イカットはインドネシアの絣。
更紗や絣は素朴で懐かしい感じがして、どこの国のでも好きだ。
ポスターを見た時は絣にだけ目がいって、「クジラと塩の織りなす布の物語」というサブタイトルや、絣以外の写真は頭に入っていなかった。
なので、「なんでこの博物館でイカットやるんだろ?」とぼんやり思っていたのだが…。ぼんやりしていたのは私の脳みその方でした。
特別展入口の館長「ごあいさつ」のパネルを読んで、展示品のイカットが塩やクジラの交易で生み出された物ということを知り、ほうほう、なるほどと思いつつ続きを追い、あぁっ!これはあそこじゃないか!とちょっと驚いた。
そこに書いてあったレンバタ島ラマレラ村という場所。
昨年の10月に写真美術館で見た「くじらびと」という映画に出てきたところだ。
小舟で海原に繰り出し、マッコウクジラやオニイトマキエイなどを手製の銛でしとめるラマレラ村の民のドキュメンタリー。
村の男たちが命がけで獲得したクジラは、浜で解体され余す所なくきちんと村民に分配される。鯨油はランプに、鯨肉や脂身は自家製塩をまぶして干し、保存食となる。
ラマレラの人々は海の民。岩礁が迫り平地は少ない村の土壌はやせていて、農作物はほとんど育たない。
女性たちはクジラの干し肉、干し脂身、塩を持って数キロ離れた市に持って行ったり、時には数日かけて山の民の村までプネタンという行商に行ったりしてトウモロコシ、米、バナナやイカット作りのための綿と交換する。
クジラの干し肉一片にトウモロコシ6本とバナナ6本とか、レートはしっかり決まっている。塩や石灰が手に一盛りが1モガという単位。クジラ肉一切れは2モガで農作物は6本が1モガ。
今のこの時代に貨幣を介さない物々交換!
すごいな〜。
ところで映画にはイカットの話は出てきたんだっけ?村人も身につけていたかどうか、全く記憶にない。現代では普段着には市販の腰衣が多いそう。手間のかかる手織りのイカットは祭礼着や結納にも使われる布だからか、とにかく映画ではダイナミックなクジラ漁や海で生きる暮らしに気を取られていてイカットの事は全然頭になかった。なので、今回「たば塩」でラマレラの人たちと再会するとは思ってもみなかった。
イカットの染色に欠かせない石灰も海の民からもたらされる。山の民の綿花や色付け用の藍や茜、そして海の民の石灰が出会って初めてイカットは生み出されたのか。
腰布や肩掛けには、小さな貝殻がビーズのように縫い付けられたものもあった。
石灰は、キンマという噛みたばこ的な嗜好品にも使われる。正確には噛みタバコではなく、アレカヤシの種子核ビンロウジを石灰といっしょにキンマの葉にくるんだもの。
パラオやタイでお年寄りたちがくちゃくちゃ噛んでは血のような赤い唾をペッペッと吐いていたな。歯も赤く染まっていた。
噛むと眠気や疲れ、空腹を感じなくなるような麻酔作用があるけれど、タバコと同じく一度習慣性がつくとやめられなくなるらしい。
ちょっと試してみたい気もするが、口腔がん検診で引っかかった人間は口にしてはいけないだろう。
キンマ噛みは諦めるとして、展示されていたティモール島のキンマを入れる専用ポシェットというのがものすごくキュートだった!
ほしい〜。
ラマレラだけでなくインドネシア東部のイカットも展示されていた。
イカットはもちろんよかったけれど、クジラや塩との交換、プネタンそのものも興味深くてその後図書館で本を借りて読んでみた。
江川幹幸氏は女性で、下の名前の漢字は「ともこ」さんと読む。『クジラと生きる』ではラマレラに何度も通って村で寝食を共にし、女性が担う過酷なプネタンにも同行して調査する様子が詳しく書いてあり、展覧会の復習になった。
共著者の小島曠太郎氏は捕鯨文化研究家。この方もラマレラの人々と一緒に捕鯨に参加し、時に海に放り出されたりしながら漁に関するあらゆることを詳細に記録している。
二人の地道なフィールドワークの積み重ねのおかげで、また一つ知らなかった世界をのぞくことができた。来月以降にある講演会にもぜひ行ってみたい。
まだ公園通りにあったころ「ビバ!テキーラ展」でちゃんとテキーラ飲ませてくれて、たばこと塩の博物館やるなぁと思ったが、小林礫斎展や森永のお菓子パッケージ展、和田誠展、去年の杉浦非水とかもよかったし、楽しい企画をしてくれる。
次の大田南畝展も期待!