男木島、じゃくじゃくのかき氷
朝ごはんを食べながら眺めたテレビの画面には、熱中症警戒アラートが出ていた。港でフェリーの片道切符を買うとき、窓口のおばちゃんが「暑いから気をつけてねぇ」と声をかけてくれた。調子に乗って砂浜を裸足で歩いたら、足の裏を若干火傷した。
要するに、本当に暑い日だった。
サングラスと帽子の上から、それでも太陽の光は燦々、容赦なく降り注いでくる。じりじりと体の芯が熱を持って、汗はじわぁっと着ているもの全てを容赦なく湿らせて、そんな中でほとんど息切れをしながら、やたらと急な坂を登っている。
暑い。坂がキツい。暑い。坂がキツい。思考は単調に反復横跳びをしている。
家々はひしめくように、人二人がやっと並んで通れるような細い路地の両脇に敷き詰められていて、その路地は葛折りのように曲がったり、急に二手に分かれたりとひどく入り組んでいる。辺りには蝉の声だけがじわじわと響いていて、催眠術にでもかかったような心地で黙々と坂を登る。
世界は死んだように静かだった。
途中で路面工事の作業員らしいおじさん一人とすれ違う。会釈をする。ちらりと視線が交わる。それだけ。辺りには、人っ子一人見当たらない。家々から生活音が漏れ聞こえてくることもない。ぺったりと青い看板の矢印通りに進んできたけれど、アートとやらもまだ見えない。
瀬戸内海に浮かんでいる、男木島、という島に来た。ここはアートの島ということになっていて、もちろん島のあっちこっちにちらほら、作品やインスタレーションなんかがあったりするのだけれど、近隣の直島や豊島のように、「観光雑誌の見開きいっぱい」分かりやすい代表的な作品や美術館が並んでいるわけではない。本当に「島」なのだ。静かな島。
この坂道の上にあるらしい路地壁画プロジェクトとかいうやつも、雑誌の片隅に収まっていた小さなグラビアを見る限り、きっと僕みたいな凡人からすれば「あ〜〜〜なるほど、これね〜〜」程度の感想で終わってしまう、んだと思う。写真の一枚や二枚は記念に撮るかもしれないけれど、フェイスブックもインスタグラムも使っていない僕にとって、それは殆ど単純な個人の記録だ。誰かに見せるようなものでもない。
アート。アートかぁ。
アートが見たくてここに来た、ような気もするし、アートというちょっとした文化っぽい口実で、ぼんやり空っぽの時間を過ごしたかったような気もする。
とにかく、その、どこかのお家の側面に描いてある謎の文様を探して、僕はひたすらに坂道を登っているのだった。
「暑い」と「坂がキツい」をもう数往復したところで、ふと影が落ちて来た。左手を仰げば、民家とおぼしき建物の壁面に「休憩所」の文字がある。
したい。休憩。かなり。
つられるように角を曲がると、水たまりみたいな陰の中で、真っ黒な猫が一匹、体をぐったりと弛緩させて眠っていた。
動物の方が、生き物として正しいことを知っている。そんな気がする。
人間だって、暑いなら日陰でとっぷりと眠ればいいのだ。日が暮れるまで。心が凪ぐまで。自分が感じられるかも、理解できるかもわからないアートなんぞを探して灼熱地獄の中を徘徊するのではなくて。
静まり返っている無料休憩所の入り口はほの暗かった。けっして荒れているわけではないけれど、捨て置かれた日本庭園さながら、細かな砂利の中に飛び石のようにして大きな石が埋め込まれた通路の脇には農作業用の器具みたいなものが雑然と置かれている。
本当に入っていいのかな。そもそも営業時間帯なのかな。不法侵入にならなきゃいいんだけど。
躊躇わせるような入り口の様子を裏切って、通路を抜けたその先はぽっかりとハレーションを起こしたように明るく、空と海まで抜ける吹きさらしのテラスになっていた。
眼下に家々、その先に港、そうして無限に続く穏やかな海と、間に浮かぶ島々の影。
ずいぶん高台まで登ってきたんだな、そりゃ勾配がキツいわけだ、という感慨もそこそこに、右手の母屋の足元、小さな黒板に書かれていた、かき氷の文字に目を奪われる。
150円だって。そりゃあもう、注文するしかない。
移住してきたのだろうか、どこからどう見ても欧米系の柔らかなお兄さんが、まだほんの少しぱらつきのある日本語で僕の注文を受けてくれた。辛うじて存在する日除けの下まで備え付けられていた椅子を下げて、座って、それからぼんやりしていると、お兄さんが氷のたっぷり入ったグラスに麦茶を注いで差し出してくれる。
「これはサービスです」の、サービス、だけがやっぱり流暢だ。
カラカラと氷を鳴らしながら、あっという間に汗をかくグラスを煽る。香ばしい麦茶が喉の輪郭をすぅっと流れていって、そうしたら現金なもので、急に頭も心も落ち着いてくるのだった。
天から蝉の声がじわじわと響いてくる。母屋から、ざりざりと、お兄さんが氷を削る音が響いてくる。きっとハンドルを回すタイプの、あのかき氷機だ、と、何の確証もなくそう思う。
世界は静かだった。なんだかあのかき氷を削っているお兄さんと、自分以外の人類は、もうずいぶん前に絶滅してしまったんじゃないかと思うぐらい静かな時間だった。成長とか競争とか自己実現とか、普段自分を取り囲んでいるいろんなものが、一度、全部、死に絶えたような安穏。
呼吸して、ただ綺麗なものを眺めている。体中から力が抜けて、目を開けてまどろんでいると、さっき見かけた猫に皮膚一枚分、近づいたような気がした。
ぽっかりと開け放たれたテラスの開口部から、青がなだれ込んでくる。空の青はどこまでも明るく澄んで、白い雲のかたちはもくもくと立ち上がって夏の顔をしている。海の青は緑と灰がかっていて、波は穏やかで、地平線までただ微かに揺れている。
潮の香りと、土の香りがした。知らない花が咲いていた。背の高い茎の上の、花弁の赤が目に染みるようだった。
運ばれてきたかき氷は、合成着色料のキッチュな鮮やかさで黄色に染まっている。レモン味ということになっているけれど、別にレモンの味はしなくて、ただシロップとして甘い。氷は昔ながらのじゃくじゃくした粗さと硬さで、頭のてっぺんからつま先まで、体の真ん中の管がゆっくりと冷えていく。ずるずると行儀悪く、シロップに氷の溶けた甘い液体を啜る。
きっとこれが、世界で今、一番おいしいかき氷だった。
12時になったら解けるように、15分間の魔法みたいな時間。けれども僕は人間なので、分かるような分からないようなアートを見に行くためにもう一度灼熱の中を歩き出すし、成長と競争と自己実現の海の中で泳ぐことになるし、日が沈むまで眠ることもない。
ただ、これから先何度でも思い出すのだと思う。男木島のじゃくじゃくのかき氷と、あの、あるべきものは全てそこにあった、真昼のほんの束の間のことを。
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