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僕の会社は「MORE FUN FACTORY」
会社と言っても従業員は自分だけ。個人事業主として事業を始めることに相成りました。もっと早くに独立したらよかったかな、と思う事もありましたが今この瞬間だからこそ、ベストタイミング!
経営理念は「楽しいをもっと楽しく」です。が、皆さん事業を起こすときはいろいろ考えると思います。
僕の場合は、大学生の頃、当時、新宿や下北沢、高円寺なんかのライブハウスで酒と音楽に酔いしれてた頃です。
その頃、「MO
オモイデハイツモステキ?
さっき、YouTubeでいろんな音楽を聴いていたのですが、別に大して興味なかったジュディマリの「そばかす」を聞いたんです。
そしたら「思い出はいつも素敵だけれど」ってさびの歌詞があったのですがワタシにとっては思い出は全然素敵じゃなくて、むしろ苦しめられている記憶の一部でしかないのです。
イギリスのバンド「レディオヘッド」「クリープ」という曲では過去の自分に対して「もっと特別な存在であったなら」
ワタシが中坊のころ、洋楽を好む奴らでは「ガンズアンドローゼス」「メタリカ」の2大派閥に分かれてましたね。
ワタシは断然ガンズ派特にリズムギターであり多くの曲を作っていた
イジ―・ストラドリンが大好きでした。彼は
「イジ―ストラドリン・アンド・ザ・ジュジュサウンド」を立ち上げ、ロックからパンク、レゲエまで自分の好きな音楽を奏で始めたのです。
最近のイジ―の画像とアスセルの画像を見ました。
イジ―はあの頃のまま、AXLは・・・・カルビなっていました(笑)
ハロージャガーです!
一部の千葉県、都内でライブ活動をされてます。
こんな世の中だからジャガーさんを猛烈におうえんします。
障害者になりました。
私は46歳でオフィスで大てんかん発作をおこして、ちょうどコロナが猛威を払っていたころで退職勧奨をうけました。
人事担当の方も役割だから仕方ないけど私はこの1部上場企業をやめることにしました。この会社に入社するのに5社転職しました。
営業成績は良かったと思います。
でも、精神障碍者となったわたしにはあっさり切られてしまいました。
しかし私はあきらめていません。
うつ病になって、てんかんにな
働くってなんでしょう
会社をリストラされて半年、何もかわらぬたろーです。
今、いろんな事を考えています。離職したから再就職するか、自分で何かをするか、今は待ちの姿勢でいるか、あるいは攻めるか。
ほとんどの人がこの時代、離職したから再就職という選択をすると思います。確かに収入ないと困るし。でも、それって既定路線じゃないの?ってずっと思っていました。奴隷じゃないんだからお上の決めた通りに生きる必要はないと。中学生くらい