一木 喜徳郎



生没年月日

1867年(慶応3年)5月7日 ー 1944年(昭和19年)12月17日

出身地

遠江国佐野郡倉真村 (現:静岡県掛川市)

学歴

岡田良一郎私塾冀北学舎
 
成立学舎
 
大学予備門
 
東京帝国大学法科大学政治学科
 
ドイツ留学

年表

1867年(慶応3年)5月7日


二宮尊徳の弟子で報徳思想家であり農業を営む岡田家に生まれる。

 
1873年(明治6年)
一木家の養子となる。
 
1877年(明治10年) 
父の岡田良一郎が開いた私塾冀北学舎で学ぶ。
その後、成立学舎で学ぶ。
 
1883年(明治16年)
大学予備門 卒業
 
1887年(明治20年)7月
東京帝国大学法科大学政治学科 卒業
内務省 入省
 
1890年(明治23年)
ドイツ留学
 
1894年(明治27年) 
東京帝国大学法科大学教授
 
1898年(明治31年)5月
内務省参事官
 
1898年(明治31年)12月
内務省参与官
 
1900年(明治33年)5月
内務省参事官

1900年(明治33年)9月


貴族院勅選議員 (~1917年8月)

 
1900年(明治33年)11月
宮内省帝室制度調査局御用掛 兼 東京帝国大学評議員
 
1902年(明治35年)
内務省鉱毒調査委員長
文官高等試験委員長
 
1902年(明治35年)9月
第1次桂太郎内閣・法制局長官 兼 内閣恩給局長 (~1906年1月)

1906年(明治39年)
帝国学士院(現:日本学士院)会員
 
1906年(明治39年)1月
第1次西園寺公望内閣・法制局長官 兼 内閣恩給局長 (~1906年1月)
 
1908年(明治41年)
東京市区改正委員長
神職高等試験委員長
 
1908年(明治41年)7月
内務次官
 
1908年(明治41年)12月
鉄道会議議員
 
1909年(明治42年)
警察官練習所所長
 
1912年(明治45年)
文官高等試験委員長
 
1912年(大正元年)12月
第3次桂太郎内閣・法制局長官 兼 内閣恩給局長 (~1913年2月)
 
1913年(大正2年)
共通法規調査委員長

1914年(大正3年)4月


第2次大隈重信内閣・文部大臣 (~1915年8月)

 
1915年(大正4年)
港湾調査会会長
 
1915年(大正4年)4月
内務省明治神宮造営局副総裁

1915年(大正4年)8月


第2次大隈重信内閣・内務大臣 (~1916年10月)

 
1917年(大正6年)8月
枢密顧問官 (~1924年1月)
 
1918年(大正7年)4月
宮内省宗秩寮審議官
 
1922年(大正11年)
旧制武蔵高等学校(現:学校法人根津育英会武蔵学園 武蔵大学)校長
 
1924年(大正13年)
大日本連合青年団(現:日本青年団協議会)理事長
日本青年館(現:一般財団法人日本青年館)理事長
 
1924年(大正13年)1月
枢密院副議長 (~1925年3月)
 
1924年(大正13年)4月
文政審議会副総裁
 
1924年(大正13年)5月
内閣賞勲局議定官

1925年(大正14年)3月


宮内大臣 (~1933年2月)

 
1933年(昭和8年)4月
男爵
 
1934年(昭和9年)
王侯族審議会総裁
 
1934年(昭和9年)4月
社団法人大日本報徳社(現:公益社団法人大日本報徳社)社長
帝室経済顧問

1934年(昭和9年)5月


枢密院議長 (~1936年3月)

1936年(昭和11年)3月


内大臣臨時代理 (~1936年3月)

 
1938年(昭和13年)
財団法人根津育英会(現:学校法人根津育英会武蔵学園)理事

1944年(昭和19年)12月17日


肺炎により東京都本郷区(現:東京都文京区)の自宅にて死去。
 

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