谷 干城
生没年月日
1837年(天保8年)3月18日 ー 1911年(明治44年)5月13日
出身地
土佐国高岡郡窪川村 (現:高知県高岡郡四万十町)
学歴
安井息軒私塾
安積艮斎私塾
昌平黌
年表
1837年(天保8年)3月18日
土佐藩武術師範でお抱え儒学者を務める土佐藩士の谷家に生まれる。
1859年(安政6年)
江戸の安井息軒私塾に入塾。
以降、安積艮斎から朱子学を、昌平黌の塩谷宕陰と若山勿堂からそれぞれ儒学と兵学を学ぶ。
1862年(文久2年)
土佐藩校致道館助教授
1865年(慶応元年)
藩校致道館助教
1868年(慶応4年)
土佐藩迅衝隊小軍監として戊辰戦争に従軍。
後に土佐藩迅衝隊大軍監
1868年(慶応4年)11月
土佐藩仕置役
1869年(明治2年)
高知藩参政
1870年(明治3年)2月
高知藩小参事
1871年(明治4年)7月
陸軍大佐 任官
1872年(明治5年)4月
陸軍裁判所所長
1872年(明治5年)9月
陸軍少将
1873年(明治6年)4月
陸軍熊本鎮台司令長官
1874年(明治7年)4月
陸軍台湾蕃地事務参軍
1876年(明治9年)11月
陸軍熊本鎮台司令長官
1877年(明治10年)2月
陸軍熊本鎮台司令長官として西南戦争に従軍。
1878年(明治11年)11月
陸軍中将
1878年(明治11年)12月
陸軍東部監軍部長
1880年(明治13年)4月
陸軍士官学校校長 兼 陸軍戸山学校校長
1880年(明治13年)8月
陸軍中部監軍部長 兼任
1881年(明治14年)7月
海南学校事務総督
1884年(明治17年)5月
学習院(現:学校法人学習院)院長
1884年(明治17年)7月
子爵
1885年(明治18年)
華族女学校(現:学校法人学習院 学習院女子中等科・高等科)校長
帝国学士院(現:日本学士院)会員
1885年(明治18年)12月
第1次伊藤博文内閣・農商務大臣 (~1887年7月)
1887年(明治20年)7月
学習院御用掛
1889年(明治22年)
予備役編入
予備役陸軍中将
1890年(明治23年)7月
貴族院子爵議員 (~1911年5月)
貴族院院内会派懇話会所属。
以降、貴族院予算委員長、貴族院全院委員長など歴任。
1895年(明治28年)
財団法人斯文会(現:公益財団法人斯文会)会長
1902年(明治35年)
社団法人日本弘道会(現:公益社団法人日本弘道会)会長
1905年(明治38年)10月
退役
退役陸軍中将
1911年(明治44年)5月13日
東京府の自宅にて貴族院子爵議員他各種団体会長在職中のまま死去。