山田 顕義



生没年月日

1844年(天保15年)11月18日 ー 1892年(明治25年)11月11日

出身地

長門国阿武郡椿郷東分村 (現:山口県萩市椿東)

学歴

新山直衛私塾
 
藩校明倫館
 
吉田松陰私塾松下村塾
 
普門寺塾

年表

1844年(天保15年)11月18日


長州藩士で長州藩海軍頭を務める山田家に生まれる。

 
1856年(安政3年)
新山直衛私塾で学ぶ。
 
1856年(安政3年)3月
藩校明倫館で学ぶ。
 
1857年(安政4年)6月
吉田松陰私塾松下村塾で学ぶ。
 
1862年(文久2年)
毛利定弘警護役
 
1863年(文久3年)9月
長州藩御所堺町御門警備大砲掛
その後、長州藩遊撃隊御用掛
 
1864年(元治元年)
長州藩御楯隊軍監
 
1865年(慶応元年)
普門寺塾で学ぶ。
 
1866年(慶応2年)
長州藩海軍丙寅丸砲隊長
 
1866年(慶応2年)7月
長州藩御楯隊指令
 
1867年(慶応3年)5月
長州藩整武隊総督
 
1867年(慶応3年)11月
長州藩先鋒隊総隊長
 
1868年(慶応4年)1月
新政府征討軍総督副参謀
 
1868年(明治元年)7月
越後口陸軍参謀 兼 越後口海軍参謀
 
1868年(明治元年)11月
青森口陸軍参謀 兼 青森口海軍参謀
 
1869年(明治2年)6月
長州藩少参事
 
1871年(明治4年)7月
陸軍少将 任官
 
1871年(明治4年)11月
岩倉使節団兵部省理事官
 
1873年(明治6年)7月
陸軍東京鎮台司令長官
 
1873年(明治6年)11月
大清国駐箚日本国公使館特命全権公使
 
1874年(明治7年)2月
陸軍西海鎮台司令長官
 
1874年(明治7年)7月
司法大輔
 
1875年(明治8年)9月
刑法編纂委員会委員長
 
1877年(明治10年)3月
西南戦争政府軍陸軍別働第2旅団司令長官
 
1877年(明治10年)4月
西南戦争政府軍陸軍別働旅団総轄
 
1878年(明治11年)2月
刑法草案審査委員会委員
 
1878年(明治11年)3月
内閣賞勲局議定官 兼 元老院議官
 
1878年(明治11年)11月
陸軍中将

1879年(明治12年)9月


参議 (~1885年12月) 兼 工部卿 (~1880年2月)

1881年(明治14年)10月


内務卿 (~1883年12月)

1883年(明治16年)12月


司法卿 (~1885年12月)

 
1884年(明治17年)7月
伯爵

1885年(明治18年)12月


第1次伊藤博文内閣・司法大臣 (~1888年4月)

 
1887年(明治20年)
大日本私立衛生会(現:一般財団法人日本公衆衛生協会)会頭
 
1887年(明治20年)10月
法律取調委員会会長
 
1888年(明治21年)
大日本気象学会(現:公益社団法人日本気象学会)会頭

1888年(明治21年)4月


黒田清隆内閣・司法大臣 (~1889年10月)

 
1888年(明治21年)12月
予備役編入
予備役陸軍中将
 
1889年(明治22年)1月
皇典講究所所長
 
1889年(明治22年)8月
現行法律規則調査委員会委員長

1889年(明治22年)10月


三條実美暫定内閣・司法大臣 (~1889年12月)
日本法律学校(現:学校法人日本大学)設立評議員

1889年(明治22年)12月


第1次山縣有朋内閣・司法大臣 (~1891年5月)

1890年(明治23年)7月


貴族院伯爵議員 (~1892年4月)

1891年(明治24年)5月


第1次松方正義内閣・司法大臣 (~1891年6月)

 
1892年(明治25年)1月
枢密顧問官 (~1892年11月)

1892年(明治25年)11月11日


兵庫県朝来郡生野町(現:兵庫県朝来市生野町)の生野銀山を視察中に意識を失い、そのまま枢密顧問官他各種団体会長在職中のまま死去。

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