無名人インタビュー:映画&アートの対話型鑑賞ファシリテーターの人
先に言っておきます。もうちょっとインパクトのあるタイトルにして、気を引きたい!って気持ちがあったんですけど、インタビュイーへの風評被害になりかねない…と踏みとどまりました。
で、今回は長南さんに死んでくださいってお願いしたの、意味わかんないでしょ。何故かは最後まで読んでください!
本日ご参加いただいたのは、長南雅也さんです!
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▼イントロ
そんり:どういったごきっかけで「無名人インタビュー」に?
長南:なにかのきっかけで、「無名人インタビュー」の記事を読んで面白いなって思ったのと、マガジンのバナーの『有名人だから面白いんじゃない、人は誰でも素晴らしく面白い』に、ちょっと共感したところがあったからですかね、興味持ったのは。
そんり:なるほど。
長南:僕も仕事ではインタビューすることがあってですね。でも、どちらかって言ったら、記事を書くっていうよりも、例えばインターネット系のサービスのユーザー調査のような。過去に映画の口コミサービスの担当をしてた時は、ユーザーさんの映画を中心とした生活であったりとか。どういったタイミングで映画を観てるか、アプリ使ってくれてるか、みたいなところをインタビューするような、仕事はしていてですね。
そんり:はいはい。
長南:そこに加えて、最近興味を持ってたのが、企業の人事であったりとかの領域で。仕事をどう言語化するか、みたいなところに強い関心を持っていて。なにか人の話を、仕事に関するインタビューであったりとかを通じて、仕事の言語化を進めるようなことができないかなっていうのを、フワッと考えてたんですよね。それもあって、あらためてインタビューっていうものと向き合いたいなあと思っていたタイミングで、「無名人インタビュー」に出会ったっていう感じですね。
そんり:長南さん自身もお仕事ではあるけれども、インタビューをされてるという感じ?
長南:そうですね。
そんり:どうですか?インタビューするのは。
長南:そうですね、なんでしょう。僕がやっているインタビューに関しては、さきほどお話したような、サービス改善のためとか、なにか仮説検証したいみたいな目的に沿ってやっているケースであったりとか。あとは、大企業であったりとかの、組織問題であったりとかを調査するとかが多いんですけど。なにかそういう、目的となる課題を見えるようにするっていうのは、それはそれで面白いんですけど。けっこうインタビューの場って、目的に沿った内容ではあるんですけど、何かその場でしか出してくれないような個性というか、例えば、映画に関する話を小一時間聞いてるだけで、この方の恋人であったりとか、家族よりも、その人の映画の好みについて、詳しくなってたりとかするんだろうなって思ったり。短時間だけど、面白い関係が作られるなっていうところに惹かれたりはしますかね、インタビューしてて。
そんり:そうですよね。その話した部分に関しては、きっと他の誰よりも深く話すっていうのはありますよね。
そんり:今日は、どういったインタビューにしていきましょう。
長南:そうですね。ちょっと思ってたのが、この間qbcさんにインタビューしてもらったときは、先ほどの話の文脈で、人の仕事を言葉にしていくみたいなところに関心があったので、仕事の話を聞いてもらったんですけど、それを2回やっちゃうと、型にハマりすぎて面白くないなと思ってて。どうしようかなと、思ってたところです。
そんり:なるほど。じゃあとりあえず、会話を進めていきましょうか。
長南:そっちがうれしいです。
▼思考と身体感覚を繋げる
そんり:今のお仕事は、リサーチ・調査?になるんですか。
長南:調査も使うというか、なんて言ったらいいんですかね。業種であったりとかでいうと、組織開発、人材開発のコンサルティングをやってる会社。まあざっくり、そうですね。会社、企業の中で起きている、主にコミュニケーションの問題を扱うことが多いんですけど。
そんり:コミュニケーションっていうのは、社員同士のコミュニケーションってこと?
長南:そうですね。たとえば、たまたま新規事業の組織を立ち上げたら、コロナ来ちゃった、みたいな。あとは最近あるのが、テレワークが進んだことによって、上司と部下でコミュニケーションがうまく取れなくなってしまったとかですね。会議の進行であったりとか、ファシリテーションっていうものがうまくいかなくなってしまったのも、ご相談受けて。なにが起こっているのかを調査して改善案を出したり、実施して見たり。
そんり:なんか、難しそうですね。
長南:研修講師とかもすることありますね、仕事の中で。
そんり:以前、映画のアプリ開発で映画に関するインタビューを沢山されたって仰ってましたけど、映画がお好きなんですか?
長南:そうですね、映画も好きです。今は、ショートフィルムを2度見るワークショップをやってまして。
そんり:なんで2度見るんですか?
長南:だいたい、10分~15分の短編作品使ってるんですけど。1回見ただけだと、ショートフィルムって情報量多かったりとかするので、意外と見逃しがあって。2回見ると発見が多いっていうことなんですけど。1回作品をみんなで見たあとに、先ずは対話する時間を挟むんですよね。そうすると話の中で、着眼点とか解釈の違いみたいなものが、言葉になって共有されて。じゃあ、それぞれが気付いたところも踏まえて、もう1回見てみましょうかってやると、見落としてる部分とか、それ以外の気付きが得られて、楽しめるっていうような場をつくってます。
そんり:それを開催することによって、どういった楽しみがありますか?
長南:それを開催すること。あ、そうですね。
そんり:そうそう。
長南:僕自身は、ワークショップのプログラムの流れであったりとかを設計したり。自分自身、その場の進行であったり、ファシリテーションするっていうことをやるんですけど。面白いなって思ってるのは、自分自身がファシリテーションするときに、作品とじっくり向き合わないといけないっていうところで。ひとりひとりの作家性であったりとか、作品と向き合う機会になるのが楽しいのと、自分の想像を超えるような対話であったりとかが、その場の中で繰り広げられて。同じ作品を事前に見てるんですけど、沢山発見があって、さらにもう1回、僕自身も見たくなるっていうですね、僕にとっても一石二鳥というか。やりながらも、作品鑑賞が楽しめるような喜びがありますかね。
そんり:どういったジャンルがお好きですか?映画でいえば。
長南:最近、短編で見てるのはなんでしょう…ジャンル。コメディではないですね。どちらかと言ったらドラマ?なんだろう、けっこうミステリアスな作品であったりとかが多いのかな。
そんり:実はインタビューさせていただく前に、プロフィールをは少し拝見させていただいたんですけど。お好きな映画は『メランコリア』ということで。
長南:あれ?どっかに書いてありました?
そんり:書いてました。で、私はラース・フォン・トリアー監督がとても苦手なんですね。
長南:うわあ。まあまあ、わかる気はします(笑)
そんり:初期から『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で終わっちゃったんですよ、私は。
長南:『ダンサー・イン・ザ・ダーク』見てないんですけど。最初触れたのは『アンチクライスト』だったんですよ、トラウマになるくらい激重で。それに比べると『メランコリア』は、まだマシだったんですけど。
そんり:どういったところが魅力ですか?『メランコリア』の。私は見てないので、もしよろしければお伺いしたいな。
長南:そうですね。好みにハマったのは…感覚的なものなのでネタバレにはならないと思うんですけど。なんて言ったらいいんですかね…世界が正常なときは、異常と思われる人が異常に見られるみたいな。当たり前のことを言ってますけど。要は、常識的な人の中に異端児がいると、ちょっと浮いちゃうみたいなことはあると思うんですけど。世界自体が異常になったときには、常識を持っている人たちの常識が通用しなくなって。もともと異端だった人は、変わらないというか。そうなった時の、人間の正常性と異常性みたいなものがひっくり返るみたいなところに、すごく魅力を感じたりとか。
そんり:ああ、はいはい。
長南:あと感覚的なところだと、新宿武蔵野館で公開されてたときに映画館で見たんですね。で、見終わったときに、ものすごい脳がクタクタになるような感覚になって。その感覚のまま、近所の知り合いのバーに入って、こんな脳みそクタクタになる映画を見たんですよって、この感覚に合うカクテルってなんですか?って聞いたら、マティーニですねって言われて。で、脳がクタクタな状態で飲んだマティーニが、めちゃめちゃ美味しいというか、気持ちよかったんですよね。
そんり:ああ。
長南:脳のクタクタ感と、度数高いマティーニを飲んだときの、一気にアルコールが入っていく感覚が。なんて言ったらいいんですかね、脳の感覚に体の感覚の周波数が合っていくような気持ちよさ。体全体で余韻を楽しめるような感覚があって。そこの体験込みで、すごい面白いなと思ってたんですよね。
そんり:ああ。そのあとのマティーニの味までが含まれて、長南さんの『メランコリア』っていう映画になってるってことですね。
長南:そうですね。そこに、すごく強く結びつきを持ってる気がしますね。
そんり:他には、どういったのがお好きなんですか?
長南:他にはどういった作品だろう、ドキュメンタリー映画もけっこう見ていて。たとえば、フランスの幼稚園児に哲学の授業をする『ちいさな哲学者たち』っていうドキュメンタリー映画があって。幼稚園児でも、こういった特定テーマでお話する時間つくったら、こんなにしゃべれるようになるんだ、すごっ!っていうのを、すごい実感して楽しむとかですね。フィクション作品じゃなくてもノンフィクションでも、映画作品って追体験というか。まるでその場にいたかのような体験というか。体の感覚とか面白さが得られるのは、なんか面白いなっと思ってて。ドキュメンタリーで映されているトークの現実であったりとかも、まあ好きですね。
そんり:映画以外で、いま長南さんがハマってるものは?
長南:ああ。僕は食も好きで。食の、特にスパイスカレーとワインが好きですね。カレーのほうは、『ほぼ日刊イトイ新聞』がやってた「カレーの学校」っていうところに通ってカレーを学んでいたり。あるいは、もうあれですね、ブルゴーニュ専門のワインバーに15年ぐらい通ってたりとか。あとは、アートのワークショップもしてるんですけど。
そんり:現代アートですか?
長南:現代アートがメインです。何かが繋がるかなって話すと。映画とアートとスパイスとワインの共通点って、左脳じゃなくて右脳であったりとか。感情や心であったりとか、体の感覚と向き合うと、より楽しめるようなところがあるなあと思っていてですね。
そんり:はいはい。
長南:スパイスカレーだと、食べながら体の感覚がどんどん変化していくであったりとか。体がどんどん温かくなってくので、それが気持ちにも作用していくようなところを感じられるであったりとか。ワインだと、その土地の香りとかイメージであったりとか。なんか、五感で楽しむって言ったら手垢ついてる言葉であれですけど。体で楽しめるようなところが面白いなと思って。
そんり:アートの鑑賞も同じ感覚ですか?
長南:アートや映画も、そういうところがあると思いますね。なんか、頭で考えてるだけでは辿り着けないような。特にアートフィルムとか現代アートも、抽象画みたいなところだと、本当にあれですよね、描かれてるものが不可解すぎてっていうか、よくわかんないんで。
そんり:わかんないですね、本当に(笑)
長南:自分の心とか体が、どう感じてるかとかが、先ずはとっかかりになっていくような感じですね。
そんり:現代アートで、お好きな作家さんはみえるんですか?
長南:現代アートで好きな作家さん…ああ誰だろう?ご一緒した方だと、『瀬戸内アートコレクティブ』っていう、瀬戸内の現代アートの作家さんを支援してる団体があって。そことコラボして、オンラインの対話型鑑賞会っていう。作品借りて、作家の。イベントやったりとかしてたんですけど。そのときにコラボした作家さんたちは、けっこう魅力的な人たちが多くて。なにさんって言ったかな。難しいですね、個人名を出していくのが。三浦さんっていう名前は出てきてるけれども…三浦さん。自分の感覚であったりとかを、素直に表現されてるような作家さんで。普段は自分の生まれ育った、広島であったりとかの景色を沢山書いてるんですけど。
そんり:うん。
長南:彼が大学時代に描いた作品を使わせてもらって。その作品が、三浦さんを一番表しているっていう話だったので、その作品を使わせてもらったんですけど。美大生のころに絵を描いている時の、自分自身の課題であったりとか、その当時の等身大の自分の感覚みたいなものを、作品に閉じ込めてるようなところがあって。
そんり:なるほど。
長南:作家さんが作品つくってるときに、なにを考えてたかみたいなものは、だいたい対話してると出てきたりするものなんですけど。どちらかって言ったら、人そのものよりも、作品という、その人の個性がより溢れてるようなものであったりとかが好きなのかなあ。ちょっと距離が近いというか、生活感があるであったりとか。
そんり:私も詳しくないんですけど、現代アートも少し見ます。あくまでも私の感覚になっちゃうんですけど。こうどんどん世の中窮屈になってきてるなって、すごく感じていて。あれも言っちゃダメ、これも言っちゃダメとか。
長南:そうですね。
そんり:なんとかハラスメントとか、テレビのアレが教育に良くない、コレが教育に良くないとか。でも何かを表現するときって、良い子でいたら、ダメな気がするんですよね。そのラース・フォン・トリアー監督もしかり。
長南:そうですね(笑)
そんり:人がちょっと不快になるぐらいが丁度いいと思っていて。で、それがいま唯一できるのが、いわゆるもう現代アートにしかないような気がするんですよね。最近、全てが清潔で正しいじゃないですか。
長南:そうですね、みんな、なんて言ったらいいのか。アングラな感じではないですよね。言われてみると、すごく世界が狭まっているというか。数十年前と比べると、なにか、あれですよね、袋とじの中みたいなものが、あんまり見なくなったなっていうか。
そんり:みんな、優等生。
長南:うんうんうん。去年オーストラリアの『シドニー・ビエンナーレ』っていう芸術祭の参加してた方に会ったり、YouTubeライブのイベントみたいなやつに、ちょっと関わったことがあってですね。そのシドニー・ビエンナーレっていう場自体が、マイノリティをテーマに毎回やってるらしくて。ダブル/トリプル・マイノリティ当たり前のような、そういった作家さんたちが集まってやっているので。もうマイノリティがマジョリティになっているっていう、よくわかんない感じの芸術祭で。そういったものが、シドニーでやってるんだっていうのも驚きだったんですけど。たとえば、このマイノリティ中心の芸術祭を日本でできるかって言ったら、イヤできないねっていう話をその場にいた業界関係者やキュレーターの人と話していて。じゃあ、いつぐらいにできるんだろうねって言ったら、40~50年とかかかるんじゃないの?みたいな話であったりとかが出ていて。
そんり:ふんふん。
長南:それぐらい、今の、さきほど仰ってたような窮屈な状況っていうところを、変えてくのには時間かかるのかなとか。
▼右向け、左
そんり:どういったお子さんだったんですか?
長南:子どもの時は、やんちゃなって言ったらあれですけど、なんだろうな。自分で遊びを作るみたいなことであったりとかを。まあ、遊びを作るって言ってもあれですけどね。幼稚園、小学生のころをなんとなくイメージしてますけど。
そんり:はい。
長南:友だちとかと遊ぶ中でも、少しムードであったりとか空気を作る側であったりとか。あとは、抜け道みたいなものを探すのが、そういった遊びの中でも好きだったので。なにか崩せるところを狙うみたいな。そのゲームの中での抜け道みたいなものを探すのが、好きな子でしたかね。
そんり:それは、どういった感じなんですか?ゲームの中の抜け道っていうのは。
長南:詳しく覚えてないですけど、常に考えてたのは、人と違うことをやろうであったりとか、みんなが左を向いてたら右を見るとか。ちょっと天邪鬼なところがあってですね。みんなが興味を持った瞬間に興味なくなるみたいなところは、けっこう子どもの頃からあってですね。ちょっと人を出し抜くみたいなところを、強く意識してた気がしますね。別に、競争とか優位とかっていう感じでもなく。なんでしょう、面白いものが、ただ単純に好きだったのか。
そんり:みんなと一緒じゃ嫌だ、みたいな。
長南:そうですね、一緒くたにされるっていうのが、なんか。整列みたいなの、軍隊的なやつとかは、大っ嫌いだったような気がしますね。
そんり:今でもそうですか?
長南:今でもそうですかね。
そんり:今お話をしている印象とは全く正反対ですね、正直申し上げると。
長南:僕もそう思います。
そんり:めちゃくちゃ礼儀正しくて、紳士な方っていう感じなんですけど。長南さんがお好きなものっていうのが、逆なんですよね。
長南:逆っていうのは?
そんり:話をしてる印象と、受ける印象が、全部ま逆。そういうところが興味深いなと思って、さっきから話をおうかがいしてます。
長南:そうですね、ありがとうございます。それは多分バランスを取ってるんだと思います。
そんり:無意識的にですかね?
長南:いや、最初は無意識だったかもしれないですけど。最近は意識的かもしれないですね。
そんり:社会で生きやすいようにっていう感じですか?それは。
長南:仕事の環境に合わせてみたいな。最初の仕事がエンジニアでですね、心を殺せば殺すほど、ロボットみたいになればなるほど生産性があがっちゃったりしたもんで。心を殺すトレーニングみたいなことを、意識的にやってた記憶があってですね。でも、その代わりに、毎晩、新宿ゴールデン街で飲むみたいなバランスの取り方はしてて。仕事で偏った心の使い方をしてる分、逆方向に心を動かすみたいなことは、意識的にやってるところはあるかもしれないですね。
そんり:ああ、なるほど。そっちの部分が見たいです(笑)
長南:どういう出し方したらいいんだろう、みたいなところはあるんですけどね。
そんり:人に対するときは、そのペースがもうテッパンになってしまっている感じですか?
長南:全然そんなことないんですけど。これはまだ、初対面の人用の自分が入ってる気はしますけどね。
そんり:もちろんもちろん。初対面ですもんね。
長南:そうですね。
そんり:で、小学校のときはそんな感じで。中学高校とかは、どういう学生生活を送られてたんですか?
長南:中学は、完全にあれでしたね、引きこもってました。不登校で。そのあとに高校は行ってって感じでしたかね。
そんり:中学は、なにが原因で引きこもりになられたんですか?
長南:どっちかっていうと、いじめられるよりもいじめちゃうような側だったんですけど、クラスメイトとの関係性とかクラス内の問題とか。あとはなんだろうな、ふと我に返ったときに、学校の先生であったりとか、身の回りの大人であったりとかへの人間不信というか。茨城の田舎育ちでですね。そこに引っ張られたっていうのもあったのかもしれないですけど。田舎によくある、没個性的が良しとされるのが、気に食わなかったのは強くありましたけどね。このまま公務員になるのか…みたいな。みんなその土地の公務員を目指してる、なんとなくのキャリアパスみたいな話が、中学らへんから出始めたりとか。そこに違和感を強く感じていたのと、この田舎から抜けられないとのは嫌だなっていうところを、強く感じてた気はしますね。
そんり:でもいじめられる側じゃなくて、いじめる側だったって仰ってましたよね。どちらかっていえば。
長南:どちらかっていったらそうですね。最初は小学校高学年ぐらいでいじめっ子がいて、いじめられたりみたいなのは、ちょびっとだけあった気がしますけど。
そんり:ああ、あれって順番に回ってくるみたいなことってありますもんね。
長南:後からは、いじめの対象から外れてっいった気がするんですよね。体格で解決しちゃったみたいな、急に背が伸びてったので。
そんり:はいはい。いじめられてて引きこもりになったっていうんだったら、わかるんですけど。逆なので何でかなと思って。都会に比べると、田舎は選択肢が少ないのですしね。一生ここで終わるんじゃないか、こんな狭い世界では終わりたくないとか、たぶんあったと思うんですけど。なんでそこで引きこもっちゃったのかなと思って。その話だけ伺ってると、もっと外に出てワーッ!ていう感じなんですよね、逆にね。
長南:なんだろうな。学校に行くきっかけみたいなのを見失ったんですかね。最初はすごい些細なところだった、気がするんですけど。
そんり:学校に通わなければいけない理由みたいなものが、なかったっていうこと?
長南:正直そうですね。なんか外れてしまったというか。たぶん、行く習慣みたいなものが途切れてしまって。行かない習慣のほうが、がっちり定着しちゃったみたいなところなのかもしれないですけど。
そんり:その時は学校行かない自分に対して、不安とかなかったんですか?
長南:それは、けっこうあった気がしますけどね。どうだろうな…正直そんなに記憶のディテールが残っているわけじゃないんですけど。
そんり:あ、そういうことですね。で、まあ高校は普通に進学して、特に可もなく不可もなく、みたいな。
長南:可もなく不可もなく、普通に最低限のことをこなし、みたいな気がしますね。
▼薄れゆく人間性への恐怖
そんり:さっきの『メランコリア』の話とか、シドニー・ビエンナーレのダブル/トリプル・マイノリティの話とか。なんでそういうところに惹かれるのかなって、不思議でしょうがなくて。
長南:そうなんですよね、それはありますね。
そんり:それは、自分の表面にある、すごい礼儀正しい紳士な部分に、嫌気がさしてるのか。それとも根本にそういうものがあるのかっていう。
長南:どうなんだろう。そういったマイノリティの人への気持ちとか、その世界を知りたいって思ったのは、多分20代前半の頃かな?新宿ゴールデン街に通ったり、バー・ホッピングしたり、毎日朝まで飲んでみたいなことだったりとかはしょっちゅうしてた気がするんですけど…さっき話してたようなエンジニアの仕事であったりとかが、機械的すぎてというか…あーなんか面白いですね、インタビュー(笑)
そんり:え?なんで?
長南:なんか、不登校になったときの学校とIT企業っていうのが、少しリンクするなあって、今、思ったんですよね。職場の中の人間っていうのが、有能なんだけどあんまり個性的ではなくて。面白味はあんまり感じてなかったんですよね、ずっと。仕事では面白いものをつくって、みたいなことはしてるかもしれないけど。人としての面白さをあんまり感じられてなくて。
そんり:マシーンみたいな。
長南:そうですそうです。そこの一員として仕事してるんだけど、夜は新宿ゴールデン街で楽しんでる、みたいなところのコントラストというか、対比で楽しんでたみたいなのはあるかもしれないし。逆に、自分の中でも薄れてしまっていくように感じている人間性みたいなものを、そこで必死に補おうとしてたのかもしれないし。
そんり:ああ、薄れていく人間性への恐怖、みたいなのがあったのかもしれないですね。
長南:ああ、それはあるかもしれないですね。
そんり:確かに、そうなると自分の中に真逆のものを、必死に取り込もうとしちゃいますよね。
▼アウトロ
そんり:実はこのインタビューって、裏テーマがあるんですよ。
長南:あ、そうなんですか。
そんり:日の出と共に今を語り、過去を掘り返し未来を見つめながら夜を迎え、また次の日の朝を迎える為に今日の自分を殺し、明日を無事に迎えられる可能性を秘めた中で、if未来を語るという感じ。
長南:なるほど。
そんり:で、残り10分なんです。
長南:え?僕は死んだってことで良いんですか?
そんり:いや、死んで欲しいんです、今(笑)
長南:(笑)
そんり:で、私の印象からお話ししますね。長南さんは今までマシーンのように生きてこられて、そこから解放されようとしてらっしゃるのは、凄く分かるんですけど、やっぱりそういった部分を感じずにはいられないんですね。もちろん初めましてっていうのも、大いにあるとは思うんですけど。
長南:ああ。
そんり:で、もし今、無邪気で自由な長南さんが存在してるとしたら、どんな未来を描きたいですか?
長南:うん…最近考えてたことなんですけど、興味があることだと、日本の人事は遅れてるって話だとか。で、その人事の中でも、仕事の言語化が進んでないってところに大きな課題がある中で、こういったものとの、向き合い方の選択肢がいくつかあると思ってて。マーケティング的にインパクトのある手段を選ぶのか、とか。でもそっちは、全然心が動かないんですよね。
そんり:うんうん。
長南:例えば大企業に入って同じような事考えてる人たちを仕事をするっていうのは、全然心が動かないし、一切興味が持てないんですけど。どちらかといえば、こうもっとアーティスト達と、アーティストというのが職業としてはマイノリティだと思うんですけど、そういう個性的な人たちに、すごく人間臭さを感じてるんだと思うんですよね。で、個性的であるが故に生きづらさを抱えてるんだと思いますし、なんか手垢ついた言い方になるんですが、生きづらさの解消みたいな部分をサポート出来たら良いなと思うし。
そんり:はいはい。
長南:うまく言葉に出来ないことを、言葉にすることで知ってもらったりとか…そういうアプローチを取りたいのかなあ…。あ、あとまだまだ僕は、自分を知らないんだと思うんですよね。
そんり:うん、長南さん自身が生きづらさを感じてるとかね。
長南:そうですね。それは感じてますね。
そんり:この「無名人インタビュー」に関わってらっしゃる方って10人ほどいて。こんなお金にならないこと必死になってやってるなんて、大人としては正しくないんですけど(笑)でも、生き方としては楽しいしラクなんですよ、多分こっち側の方が。
長南:はいはい。そうですね、近いことを考えて、最近口にしてたかな。もっと仕事しやすさであったりとか、そういうのを企業の中に求めるのは難しいとは思うんですけど。自分自身、そういう部分ではだいぶ解消はされてきてると思います。
そんり:うんうん。
長南:そうなんです。僕も会社の外でやってる、個人でのプロジェクトがいくつかあって。そっち側は全然お金にならないような、でも会社で出来ないようなことを徹底的にやってる部分はあって。
そんり:その社外での活動をしている時って、どういうお気持ちですか。
長南:それをやっている…そうですね。楽しいですね。楽しいし、やっぱり日本の企業人事を変えたいって思いって、20代の頃、心を殺しながら仕事をしていた自分が頭に浮かんでたりとか。あと最近関わっている「カタリバ」っていう、超個性的な子供たちの居場所を作るというものに関わってますけど、なんかそういう子達と関われば関わるほど、こういう子達は、学校や仲間内で浮いちゃってるんだろうなって、結構子供の頃の自分と重ねてたりするんですよね。
そんり:ああ、はいはい。
長南:だから、昔の自分の為に、色んな活動をやってるのかもしれないですね。
そんり:ああ。
長南:で、常々なんですけど、想像通りにことが運ぶのがあまり好きじゃなくて、だからこれから先も、自分の予想を裏切る自分になってて欲しいなとは思いますね。ああ、そっちに行っちゃうのか、っていう。でもその時に、その状況を楽しめてたら良いなとは思うんですけどね。設計に沿って、綺麗に階段を登っていくようなイメージは全然ないですね。ごちゃごちゃでカオスで良いかなって。
そんり:はいはい。
長南:こう自分としては、掴み所がなくて良いかなと思っていて。社会的に価値も付けづらいし、何やってんだか分からないみたいなので良いのかなって思ってるので。シンプルにすればするほど、自分の持ち味が損なわれるような気がしていて、だからあえてカオスの方にキャリアや活動を広げてるフシはあって。これから先、掴みどころのない感じになっていたら、それはそれでハッピーかなって思ってます。
そんり:ああ、削ぎ落とすんじゃなくて、巻き込まれて行きたいって感じなんですね。
長南:そう、結局は天邪鬼なんで。世間がシンプルって言ってたら、逆を行ってやるぞって(笑)
そんり:面白い!(笑)今日はありがとうございました。
長南:いえこちらこそ、ありがとうございました。
〜終〜
編集協力:有島緋ナ
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