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「君は天然色」の歌詞について思ったこと
「君は天然色」を歌詞を読みながら聴き直していて、改めて松本隆さんの詞の運びの巧みさに舌を巻いている。この歌詞の誕生にまつわる妹さんとのエピソードは既に多くの人に知られているので、ここでは触れない。今回書きたいのはサビの「想い出はモノクローム…」に至るまでの歌詞の流れのこと。
このサビは3回歌われるのだけど、まず最初の登場部分では直前に「机の端のポラロイド写真に話しかけてたら」と歌われている。ポラロイド写真は普通の写真より色落ちしやすい。ここでのポラロイド写真もおそらく撮影されてから数年が経過していると思われるので、既に色落ちが始まっているだろう。いくら「過ぎ去った時」が「今より眩し」くても、話しかけてる写真自体は鮮明な色彩ではない。
次に登場する部分の直前に歌われているのは「夜明けまで長電話して」いる情景。夜明けの光景は確かに美しい。しかし夜明けとは世界が色づく直前の時間帯であって、眩い色彩の世界ではない。ここまでの2回のサビはいずれも「モノクローム」の磁場の範疇にあると言えるだろう。
しかしこれが最後に一転する。
最後のサビの前で歌われるのは「渚をすべるディンキーで 手を振る君の小指から 流れ出す虹の幻で 空を染めてくれ」。ここに来てついに多彩な色彩が現出する。あくまで幻なのだけど、藤原定家の名歌「見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」が実在しない花と紅葉のイメージを読者に鮮烈に印象づけるのと同様に、虹の色彩のイメージが聴く人の心に強く残る。
サビの歌詞は3度とも同じ「想い出はモノクローム 色をつけてくれ もう一度そばに来て はなやいで麗しのColor girl」なのに、最後のサビは、直前の虹のイメージのおかげで鮮明な色彩に染められる。「想い出はモノクローム 色をつけてくれ」という願いが最後の最後で叶えられて、「麗しのColor girl」がはなやぐ。なんという劇的な展開。見事としか言いようがない。
かなり強引な解釈ではありますが、ふと思い立ったので記しておきました。