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weekly review20241020:外国人として生きるということ、SNSが凶器化していること

外国人として生きるということ

今週うちのピザ屋で働くベトナム人の女性をレジ担当から外すという苦渋の決断をした。全アルバイトスタッフの中で彼女の時給は最も高い。僕は給料を支払う方なので、この数字が、僕自身が彼女を最も高く評価していると言うことを証明している。

レジ担当から外したのは、うちのお店のコアな価値観「高いレベルで仕事をする」に接客の面においてだけは、反する形になってしまうからだった。何度日本語のレッスンをしても、接客の特定のフレーズが正確に言えない。これを何度か確認して、彼女にもちゃんと時間をとって、レジから一旦降りて、ピザ作りに回るように伝えた。ただ、こちらとしては諦めているわけでもなく、日本語とベトナム語ネイティブの教師を有償で呼んで定期的にトレーニングをしてもらうことにした。

ここまでやった事にはまず第一に、彼女の成長を絶対に諦めていないと言うことと、彼女の人格と中身を100%評価していることを知ってもらいたかったこと。もう一つは、お客さまがどう感じるかについて、絶対に妥協しないという姿勢を貫くこと。

自分は日本に外国人として生まれ、中学卒業まで、朝鮮学校に通い、マイノリティとして生きてきた。高校もカナダの白人しかいない街でアジア人としていたこと、社会人になってもブラジルで3年、アメリカで一年、常にマイノリティ、ノンネイティブとして学生、社会人生活を送った経験がある。普通の人が経験したことがないような差別と暴力にも何度もあったことがあるし、カタコトを話すことがどれだけ、ネイティブとの間で上下関係を生むかも、経験し尽くしている。

だからこそサービス業をする今、一部のお客さんが表面上は平気な顔をしていても、カタコトを話す外国人やそういうお店に対して、有意識的に無意識的に下に見ていることを知っている。そんなことはないと言いながら、絶対にあることも知っている。だから、100%は無理でも、ああここは頑張っているんだな、これくらいならちゃんとしたお店なんだなと言うレベルまでは持っていきたいと言う意地がある。新しい日本人を雇ってしまえば終わりだけれど、それは絶対にしたくないので、彼女の成長に何年コストがかかろうとも、それができるように努めることが高いレベルを目指して仕事すると明言しているお店がとる責任であると思っている。何より、一人の社会人としての責任だと思っている。

僕自身、いろんな人種がいる環境で働いてきたので、アクセント云々が問題でない職場があることは理解している。オフィスワークやある一定の教養のある人たちの中では全く問題にならない。中身が重要なので。ただ、サービス業において、スタッフ側の教養がオフィスワーカー並みであることは少ない。また、サービス業においては、お客さんもいろんな人が来るし、表面的にしか判断できない。神戸のような田舎では年配の人が外国人に対してちゃんと日本語を喋れとどなる人もいる(自分自身が日本語すらちゃんと喋れていないことが多い)。こう言う環境の中で、さっと人を入れ替えてしまう、あるいは妥協して、見下されることは弱いやつのやることであり、うちの店ではそのレベルは絶対に譲りたくない。

そこまでやる必要がないと思う外国人の人は、妥協して見下されることを許容している職場で働いてもらえれば良いと思う。うちで働く限りにおいてはそこの妥協はしてほしくないし、成長意欲がある人には、お金も時間も惜しみなくかけたいと思う。

SNSが凶器と化していること

あまり日本では認識されていないように思う。つい最近バンクーバーにいる知り合いの人が自ら命を絶った。その話を聞いて、SNSと言う言葉がすぐに頭によぎった。普段からSNSを見ていると、その世界が煌びやかに見えて、自分がやっていることがしょぼく感じたり、自分は世の中の人と比べるとみたいな気持ちになるだろうと言うのが、タイムラインを見ながら容易に想像できる(自分はピザ屋のお店の商業用のアカウント以外でSNSの投稿をしたりしない)。

Instagram、Twitterなどの代表的なSNSから小さいところまで、ほぼ全てのplatformは人間よりもはるかに高い知性を持ったコンピューターが人間の興味を操るために、催眠術をかけるかのように手を替え品を替えて、その人の中毒性を高めるコンテンツを強制的に見せ続けている。この事実を知らない若い人たちはその凶器に日々さらされていて、大人でさえ、命をたつほどの影響を受ける。みたいなことを考えていたら、NetflixのThe Future with Bill GatesのEpisode2で同じこと延々と賢い人たちが言って警鐘を鳴らしていたので、まぁそうですよねとなった。

これは昔エロビデをオカンに見つかったとかそういうレベルのものではなくて、Humanity(人間らしさ)、人と人との温かみ、人情みたいな、今まで人間を人間らしくしてくれていたものを奪われるようなものであると、この戸キュメンタリを見て思った。

自分のSNSアカウントをアクティブにすることをやめてよかったと思っているし、商業用でアカウントを持って、お客様とインタラクト、コミュニケーションするくらいがちょうど良いテンションなんだなと感じた。



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