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weekly review20241109: リーダーシップ、フランソワ・ミレー

リーダーシップ

最近読んだ本の中で一番面白かったドンキホーテ創業者の安田隆夫さんが書いた「運」。彼はこの本の中でリーダーにとって最も重要な要素は人格だと断言している。楽天にいる間、マネージャとしても仕事をしたけれど、本当にみんながこの人のためならとなる役割を果たせた実感はなかった。たった一度あるとしたら、新卒2年目でほぼ左遷のような形で飛ばされた四国支社でマネージャーでもなんでもなかった自分が、チーム全体を引っ張り、お客様も巻き込み、楽天の四国エリア自体の雰囲気を変えた時だったと思う。

楽天の世界展開を目的に入社したにもかかわらず、26歳の果敢な時期をなぜ四国で、、、と半分腐っていた時期。支社は全国でも最下位の成績で、自分自身の営業成績も悪かった。逃げるように、自分が目標としていた海外展開を第一線でやっている同期の元、ジャカルタを訪ねた。その彼の姿を見て、自分が情けなくて、帰りの飛行機で悔し涙を流した。

もう会社も辞めてMBAにでもいこうと思ったけど、結果を出さずに辞めるのは格好悪いと思った。どうせ辞めるなら、自分だけじゃなく、うちの支社全体で全国トップの成績を収めて、胸を張ってやめてやろうと開き直った。

すぐに当時の支社長や、先輩たちに声をかけて、支社のミッションをみんなで作ろうと働きかけたら、意外にみんな休日に出勤して、集まってくれた。確か「四国にお祭り騒ぎを巻き起こす、お祭り集団」というような内容だった。それを壁に張って、生まれ変わりが始まった。言い出しっぺの自分は誰よりも率先して動いて、周りの目標分まで取りに行った。ほんの数ヶ月で1〜2年腐りきっていたチームが、まるで違うものになったことを鮮明に覚えている。実際に四国支社は全国営業トップになった。その活躍を評価されて、結局念願の海外展開の第一線にも抜擢することになった。自分が抜けた後もチームは常勝の雰囲気が続いた。

その後海外でもマネージャーとして仕事をしたけれど、なんの立場もなかった時にリーダーシップをとった時ほど強烈なものはなかった。

自分は元々、リーダータイプじゃない。プライドが高い、フラットじゃない、無茶苦茶短気、頭が良い訳でもない。具体的な目標に向けて、開き直って、しにものぐるいでやっている時くらいしか魅力がないタイプだと思う。今は当時と立場も違うので、逆効果になってしまうかもしれないけれど、間違いなく今のやり方では世界に挑戦できるチームを作れない。

具体的な目標と、明確な締め切り(ここまでにできなかったら、キッパリやめる)を決める。それに向けて、我欲を捨てて、全てを懸ける。キッパリやめたあとのボトムだけ決めておけば、失うものを恐れる必要がない。

フランソワ・ミレー

東京→山梨へ。滞在時間はかなり短かったけれど、山梨県立美術館に立ち寄った。ミレーの描いたポーリーヌ・V・オノの肖像は富山に出張に行った時たまたまレプリカが展示されていたのを見てずっと見たかった。ミレーの最初の妻のポリーヌ・オノを描いた肖像画。レプリカは暗い色のイメージがあったけれど、実物は150年前に描かれた絵とは思えないくらい色が鮮やかで、光で照らされた肌の色と影のバランスが秀逸だった。この絵を描いた1~2年後に彼女は病気で亡くなってしまう。そんな起こりうる不幸を微塵も感じさせない素晴らしい肖像画だと思った。

ミレーはフランスの農民労働者を力強く描いたことで(当時は位の低い農民を力強く描くことは、アカデミーで決められた芸術のルール
から逸脱した行為と考えられていた模様)、当時の批評家には酷評されたという。

ミレー自身は裕福な家の出で、何不自由ない教育の機会を与えられて育った。彼が本当に農民の底から這い上がった人間であれば、彼が描いたような絵は描けなかったんじゃないか。そもそもそういう発想が生まれなかったんじゃないか。結局これは上層にいて教育を受けた人間の上から目線のひとりよがりアートなんじゃないか。みたいなことを考えながら農民の姿を描いた絵を見ていた。そういう考えもあってか、有名な落穂拾いや種を蒔く人は特に感じ取るものがなかった。

とはいえ、全体的な色のバランスとか世界観はとても好きになれた。美術館の外では銀杏の木が黄色に染まり日が刺してむちゃくちゃ綺麗だった。美術館もとても清潔に維持されていた。絵を見ること以外にも各地の美術館の建築やそのもののあり方を見るのも一つの楽しみにしている。



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