余白を持つこと

こんにちは!滋賀・大阪ボイストレーナーの安田結衣です。

今日は余白を持つことについてです。

私はTODOリストが好きなので、自分の目標や1日の計画などを入念に作り込もうとします。そうすることで少ない時間を効率よく過ごすことができて目標も達成できるのですが、最近それで本当にいいのかなと疑問が浮かんできました。

先ほども「目標を達成できる方法」というタイトルで文章を書こうとしていたのですが、身近な友達を思い浮かべた時に「私は本当にこれを勧めたいか」と問い直してやめました。

目標を決めること自体は素敵なことだと思います。例えば「富士山登頂」という大きな目標を決めます。そして少ない時間で効率よく登頂するために細かいスケジュールを計画します。そこでの目標が「富士山登頂」のみであれば、このような計画の立て方で問題ないと思います。
ですが本来の目的が「富士山登頂での楽しい思い出」というものだった場合はどうでしょうか?先ほどのスケジュールの組み方では計画以外のものは全て必要のないものと考えられます。つまり寄り道をしたり、話をしたりする時間は無くなります。それでは目標を達成できても楽しい思い出は残りません。

レッスンの仕方についても正解がないと思います。生徒さんの目標に対して、それでは〇〇と△△をやっていきましょうと考えても、生徒さんの目的が変わっていくこともあります。それは生徒さんが成長したと捉えています。また同じゴールを目指す生徒さんがいたとしても、一人一人の持っている道具(船なのか飛行機なのか)によって順路も変わっていきます。

人は余白がないとどうしても効率を重視してしまいますが、楽しいことは計算外のことから生まれるのではないかと思います。お笑いのボケも意外性からくることが多いです。
計画することと余白を持つことのバランスを大切にしていきたいと思いました。

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