ダミアン・ハーストのプライベート
今回は、ダミアン・ハーストのプライベートについて、わたしが知っている範囲でお話したいと思います。
1993年、ハーストは代理人のジェイ・ジョプリングから、ある女性を紹介されます。
その女性は、カルフォルニアのサーファーガールからジュエリー・デザイナーに転身した魅力的な女性で、当時はジョプリングと交際していましたが、すぐにハーストと恋に落ちます。
彼女は、ハーストの作品制作のために、屠殺場やウジ虫の飼育場に同行しました。(すごい女性ですね!)
彼女は2009年にこう述べています。
「わたしは恋に落ちていたので、ダミアンと一緒に過ごすチャンスにはすぐに飛びつきました。わたしたちは、病的な好奇心を共有しているという点でよく似ています。」
ふたりが出会ったころ、ハーストのスター性は高まりつつありましたが、まだ美術界で名を成すには苦労をしていました。
ハーストは、公営住宅の部屋を借りて、床にマットレスを敷いて寝ていました。
ハーストと彼女が一緒に住み始めたころは、彼女はゴミ捨て場から家具を調達し、やはりゴミ捨て場から拾ってきたクーポンを切り取っては使っていました。
数年後、ハーストが有名になってくると、彼女はハーストが頻繁に訪れるファッショナブルなパーティーに同行するようになりました。
(そのころの写真が多数ネットに残っています)
ふたりの間には3人の息子がいます。
ハーストは彼女を内縁の妻と呼び、法的な結婚はしていないようです。
(ハーストのこども時代の家庭環境が影響しているのでしょうか?)
1990年代を通して、ハーストは、その騒々しく突飛な性格や、過激なパーティー通いや、ロックスターのような大きな色眼鏡をかけていることで知られていました。
一時期、ハーストの中毒とパーティー遊びがあまりにもひどかったので、彼女は一時期、ハーストから離れたことがあります。
親しい友人の死がきっかけで、ハーストの人生は変わります。
1994年、ザ・クラッシュの共同創設者であり、元リードシンガーであるジョー・ストラマーと出会います。
ハーストとストラマーは、芸術を愛する仲間として深い絆で結ばれました。
ふたりは夜な夜な深い会話を交わしました。
そして、毎年、家族を連れてスペインにバカンスに出かけたといわれています。
2002年、ストラマーは心臓発作で突然の死を迎えます。
そのことは、ハーストに大きな影響を与えました。
ハーストはテレグラフ紙にこう述べています。
「死を意識したのはその時が初めてだった。不自然で、予想外で、とても気まずい感じがした。ジョー・ストラマーはまだ50歳だった。自分のヒーローであり、出会った後もヒーローであり続ける人というのは、ほとんどいない。そういう人に出会ったのは、ジョーだけなんだ。誰でも死んだら穴が空くけど、ジョーのような人は大きな穴を空けるんだ。」
親友の早すぎる死をきっかけに、ハーストはチェーンスモークと酒をやめ、より健康的な生活を送るようになりました。
「ジョーが死んだとき、酒とたばこで乗り切ろうと思ったけど、やめたんだ。こういう感情的な状況で屈しないようにすると、強くなれるんだ。」
2002年、ハーストはメキシコのビーチに家を購入しました。
パートナーである彼女がサーフィンをしたり、こどもたちが遊んだりできるように、1年のうち3か月ほどをメキシコで過ごしました。
メキシコ人の死に対する考え方は、死者を祝福するもので、英国人の死に対する考え方よりも自分に近いとハーストは語っています。
(これはなかなか意外ですね!)
また、ハーストのパートナーである彼女は現在、ファッションブランドを立ち上げ、ビジネスウーマンとして活躍しています。
(かなり有名な女性のようです)
現在のハーストとその女性の関係はよく知りません。
ハーストは現在、若いモデルさんと交際している模様です。
(お元気ですねw)
なんだか今回はゴシップ誌のような内容になってしまいましたw
でもこういう背景を知ることも、ハーストの作品や評価、または批判を理解するうえで大切なことかもしれませんね。
参考文献:Lac, Karen「Damien Hirst: A Biography」Hyperink Celebrity Bios. Kindle版