引っ越しを前に
現在、引っ越しの準備をするべく少しずつ部屋の中を片付けている。
わたしは断捨離が苦手ではない、と思っている。
特にコロナ禍を経て、ちょこちょこ物を減らしてきた。
しかし、普段の断捨離ではなかなか手をつけない奥のほうという場所があり、そこには20年以上前から鎮座している物まである。
そう、20念以上。
わたしは大学入学をきっかけにここに住み着き、それから一度も引っ越しをしなかった。
一人暮らしをすることが決まり、わたしはわりとメジャーな不動産屋に行って部屋を探した。
住居にこだわりの少ないわたしは、すぐに住みたいと思う部屋をしぼりこみ、契約を申し出た。
しかし、契約を前にして、不動産屋から思わぬことを言われた。
「実は、大家さんに相談したところ、視覚障害のある方はちょっと、ということで、別の部屋をご紹介したいのですが」
言い回しがこんな風だったかは正直覚えていないのだが、要するに「入居拒否」である。
傷つくことはなかった。
中学、高校の間わたしは盲学校の寄宿舎で暮らしていて、そこでは視覚障碍者が中心の生活をしていたけれど、これからはそうではない。
なるほど、見える人たち中心の世の中に出て行くってこういうことなのね、と思った。
後々わかったことだが、先に社会に出て行った先輩たちに聞いてみると、
同じような経験をしたという人がけっこういて、視覚障害に限らずこういうことは障碍者のあるあるネタのようだった。
不動産屋が紹介してくれた別の部屋に入居しようとしたら、
「ちゃんとお世話してあげたいけれど、責任が持てないから」
と、また断られた。
お世話なんてしてほしくない。
放っておいてくれていい。
わたしたちは盲学校で、料理や掃除など一人暮らしに必要な訓練を授業として受けている。
だから、普通に部屋を借してくれればそれでよかった。
だって、視覚障碍者が借家で家事を起こした、なんてニュース聞いたことありますか?
それでもわたしは運のよいほうで、3件くらい断られた後に入居をOKしてくれる部屋が見つかった。
それが今住んでいる場所だ。
先輩の話を聞くと、入居をさせてもらうための署名運動までした人もいたらしい。
今の部屋の大家さんは恩人と言っても過言ではない。
わたしに干渉することはないが、設備の調子が悪かったりするとすぐに修理にきてくれるような人で、理想的な大家さんだ。
だからこそ、わたしはまた引っ越しをするということが面倒になってしまった。
たまたま、大学卒業から今まで働いたり通ったりする場所が部屋からそれほど遠くなかったというのも理由のひとつだが、引っ越しをしてまた拒否されたらと思うと、そういうのはもういいやと思ってしまった。
当時、わたしが未成年だったことも、入居拒否の原因だったかもしれない。
同じ視覚障碍者の友人の中には、わりと頻繁に引っ越しをしている人もいて、年齢があがるほど拒否されることも少なくなるようだった。
そんなわけで、わたしはこの部屋が好きだし、執着心のようなものも持っているかもしれない。
結婚というきっかけにより、ここを離れることにはなったが少し寂しい。
だが、その時が訪れることはもう決まったのだから、とっとと部屋を片付けろ、とぐーたらな自分を鼓舞する毎日である。
ちなみにわたしはけっこう根に持つタイプの性格だけど、
過去の恨みを記事にしたかったわけではない。
ただ、少なくとも20年前の東京はこんな風だったということを伝えたうえで、
いろいろな人が面倒くさい思いをしなくてよい社会を一緒に作っていけたら、わたしの経験も無駄にならなくていいなと思っている。