"かわいい"はつくれる
最近の学生は、美男美女が増えているという噂を耳にした。どうやら、恋愛結婚が増加したことが要因のひとつらしい。
お見合いや政略的な意図で「好きでもない相手と結婚せざるを得ない時代」から、「個人の意思で結婚相手を選べる時代」に突入した。趣味、性格、年収、セックスの相性などなど。
特に、容姿で篩にかけるようになった。オブラートに包まずありのままで、誤解を恐れずに発言すると、「ブサイクは選ばれない」時代になり、美しい遺伝子同士で結ばれることで、より美しい子どもが産まれている。某SNSで流れてきたことなので根拠は全くないけれど、納得感はある。
ここで言う「ブサイク」は、決して容姿のことだけではない。ましてや、悪口を言いたいわけではない。
容姿だけで捉えるならば、僕は確実に「選ばれない側」の人間だ。目は細くつり上がり、顔は長く、全身の毛は濃いくせに額の生え際だけはどんどん後退していく。足も短く、身長は一年前と変わらないのに座高だけ二センチ伸びるというトランスフォームをしたこともある。
ずっとビジュアルにコンプレックスを抱えているし、これから加齢とともに、更に見たくない部分が増えてくるだろう。
そんなコンプレックスを隠すように、スキンケアを頑張ったり、月に一回は美容室に通って整えて貰ったり、似合う服を選んだり、使い古したものは着ないようにしたり。脱毛も試みたが、初回のお試し脱毛と診断の際、「毛根の強さを一~十で表すなら、十二ですね」と言われ、実際施術も泣く程痛かったので諦めた。
肉体的に産まれ持ってしまったものはどうすることも出来ないので、いかに身なりをキレイに整えるか、抱えるディスアドバンテージを越えるようにするか、工夫をしてきた。
そのおかげもあってか、無事に結婚することは出来た。きっと何も気にせずにいたら、ブサイクなまま誰とも恋愛出来ずに独り寂しく暮らしていたかもしれない。
見た目は整ってなくても、それでも自分を好きになるために努力を惜しまないことで、道は拓けるんだと思う。「自分はブサイクだから」と必要以上に卑下して、塞ぎ込み、何もしないことが、「本当にブサイクな人間」なんだと思う。
現代の美男美女も、結婚して家庭を持っている人も、それなりに努力した結果が出ている。持って産まれたものもあるだろうけど、「自分を好きになるために努力している姿」が、異性に限らず、周りから「かっこよく / 美しく」見られて、愛されるのではないだろうか。