『セノーテ』被写体と一体化するスタイル
先日の第1回大島渚賞を受賞した期待の若手、小田香監督の最新作『セノーテ』。
ぴあフィルムフェスティバルが初のオンライン映画祭を開催する中で、500人限定のプレミア公開だった。
水中洞窟を撮影したという前情報だけをインプットしていたが、いざ観てみると本当にほとんど水中洞窟を巡っていく映像だった。
あとは現地の祭やポートレイトがその都度挿入されるのと、マヤ文明の古典が語られるのみ。
神秘的で、恐ろしくて、柔らかい光が差し込む水中を漂う体験。
言葉では表現できない、現実なのかすら分からない世界への旅。
セノーテというのはメキシコユカタン半島に点在する巨大な泉。
古代マヤ人にとっては貴重な水源で、水底には神が住んでいるという伝説が残っている。
儀式の場でもあり、神への生贄として死んでいった人々もいる。
セノーテの先には黄泉の世界があるとされ、この世とあの世を繋ぐ道とも言われる。
上映後、小田香監督×石川直樹さん(写真家)の対談があった。
ただその世界に自分がいるという状態で撮影をしたかったという小田監督。
映画監督というのは、現実世界を利用してそこに監督独自の世界を創り上げるのが普通なのだが、小田監督は自分を世界に放り投げてただカメラを回す。
世界を邪魔しないように、溶け込むようにただ存在していようとするスタイルで映画に挑む監督にはほとんど出会ったことがない。
先日投稿した、知っておいて損はない映画の基本②~スタイル~で紹介した三つのスタイル、記録性・表現性・物語性のどれにも分類しがたい映画を早速見つけてしまった。
簡単にドキュメンタリーと言ってしまえば、記録性が最も強くなるが、単なる記録とも言い難い。(なんせもはやドキュメンタリー映画とフィクション映画の枠組みさえ飛び出してしまったような映画なのだ)
小田監督は「セノーテになりたい」とまで仰っていたが、被写体が自分を含み、自分が被写体を含む感覚で撮影するのが撮影者としての最高の体験らしい。石川さんも被写体と同一化した状態になっちゃいたくなると。
要は自分が持つ「個」を排除した無意識化でカメラを使うことができれば最高ということらしい。
小生にはまだまだ遠い遠い感覚です。
『セノーテ』は今夏公開予定。
特集上映で、他の小田監督作品も観られるらしい。
少しでも興味ある方はぜひ劇場で。
セノーテと一体化する感覚を探しに行きましょう。