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なぜ月が美しいと感じるのか

先日の帰り道、東の方を見て、空にスマホを掲げている女性を見かけた。誘われるように私もそちらを見やると空に立派な月が見えた。
あとから知ったが、十五夜だったらしい。どうりでTwitterのタイムラインに月見団子のレシピが並ぶわけだ。

さて、なぜ月を見ると美しいと感じるのだろうか。
丸いから?輝いているから?暗闇とのコントラスト?月見バーガーが出るからなんとなく?

これを問うて、その人なりの答えが帰ってきたことはない。人は「一般的になぜそう思うのか」について答えたいらしい。そりゃあ自分の感性について、そんな親しくない相手に話すのはハードルが高いよなとは思う。

なぜ月が美しいと感じるのか

まずつまらないが一般的に考えてみよう。

秋は十五夜や十六夜など、中秋の名月…など月が美しいとされる。それにも科学的根拠はあるそうだ。

1.秋は空気が澄んでいる
2.月の高さがちょうどいい(大気の影響を受けにくい)

確かに春は朧月と言うし、冬は月が遠い感じがするし、あの距離感が人間にとってちょうどいいのかもしれない。
しかし、私は冬の澄んだ空気、遠い月が好きだなあ。

そして、この絶対的条件は大昔から変わりはないらしい。大昔の人も秋の月めっちゃええで!!って歌っている。

"秋雲に たなびく雲の 絶えまより もれいづる月の 影のさやけさ"
左京大夫顕輔

しまった。秋にフォーカスしてしまった。

このままだと、上記にあげた1・2を満たすものは美しい…ということになってしまう。恐らくそうではないはずだ。なぜなら月はいつでも美しいから。

しかし、ここまでなぜ月に心を奪われるのか、不思議である。日本人特有のものなのだろうか。調べてみると、特に月を見る習慣がない国もあるそうだ。

歴史や史実を軽くさらってみると、古事記のツクヨミ神や竹取物語など、月に纏わる物語が出てくる。大昔からあったということは、それだけ月が人間にとって身近であったということが垣間見える。
身近だからこそ、あれだけの月に纏わる短歌も生まれたんだろう。
ましてや、神様だ。敬うべき存在である。

それらが語り継がれ、今、生きている私達の遺伝子に組み込まれているのかなとも思ったりする。

海外だと月は狼男や人狼、不安の象徴だったりとあまりよろしくないイメージが先行する。タロットでも月のカードは『不安』の象徴だ。
昔の海外の人達は、月の日に日に形を変える姿に対して、気持ちが揺らぐような、定まらないものを感じたのかもしれない。

なぜ空を見上げるのか

私はなぜか空を見上げる。もう習慣だ。空を見ながら歩いているものだから電柱にぶつかりそうになったことが何度かある。

どんなときに空を見上げるだろうか。
確かに星や月を見たいのかもしれない。光るものにただ目がいっているだけかもしれない。

一人で外を歩いているとき、決まって空を見上げる。誰かといるときに空を見上げることはあまりしない。大体、会話をしていることが多いからだ。
それに「星を見よう」なんてキザな台詞、私には吐けない。客観的・一般的にはキザだけども、私はそんな誘い文句惚れますけどね。ただし、純粋に星を観に行こうという意思を感じる場合に限る。

一人のとき、空に何かないかと見上げる。遠くでゆらぎ輝く、星や月を見て安心をする。…安心したいのかもしれないな。ひとりじゃないと。一人になっても、ひとりじゃないと。

その人の世界に"正しさ"なんて意味はない

なぜ月を美しく感じるのだろうか?

どんな答えでもいいんだ。そんな『美しさ』という曖昧な基準を持った問いに正しさなんて存在しない。『美しさ』は人によって感じ方が違うのだ。それぞれ違って当たり前だ。
そこにあるのはその人の世界・フィルターだけだ。それを言葉で感じとるしかない。同じものを私は見ることができないのだから。視力も身長も感性も、全部違うのだから全く同じに見えないでしょう?

ならば、私はなぜ月を美しく感じるのだろうか?

私の答えは『日々の満ち欠けに不変なものはない。変わるということは何かを見えなくする、もしくは失うことだ』と感じるから。
その変化は進化かもしれないし、退化かもしれない。けど、変わったことに意味がある。変われば同時に何かを失う。そんな儚さを、月に投影しているなあと思う。


May the wind be ever at your back

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