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氷の腕

思い出した。
確かに私は死んでいた。

三年前の1月に私はふろ場で殺されたのだ。
実の夫に。

あれ、この表現は正しいのだろうか?
実の親、とか実の子どもとか、そういう表現はあるけれども、
実の夫という表現を普通はしない。

なにかがずれている。
ずれていても仕方がない。
だって私は死んでいるのだから。

いわゆる私はDVの被害者だった。
「ねえ、何故そんな殴ったりけったり、あなたを粗末にするような人と一緒にいるわけ?
別れたらいいのに」

ね?

トモダチはみんなそう言う感じのアドバイスを私に向かってした。
別れられるものならとっくに別れている。

私には子どもが二人もいるし、そのうち一人は男の子なので、成人するまで父親というものをあてがっておかねばならなかったのだ。

いい父親とか悪い父親とか、そういうものではなく、父親という鏡がなければ、男の子は男にはなれんのだ。

モデリング、だ。悪い父親なら反面教師、いい父親ならそれなりに普通に男になれる。
私はそう思っていた。どうせ大人になれば、親なんて捨てたり、殺したりするものだ。

育ててもらうだけで、育ったら後は不要なのが親という生き物だ。
どんなに自分がオキシトシン全開で育てても、毒親と呼ばれて、縁を切られるのがオチというものだ。

ひねくれている?
だって私がそうだったから仕方ない。
自分がしたことは自分に返って当然、と私は思う。

母親は本当に私を良く育ててくれた。
自分の気持ちのはけ口として有益な存在として
ずっと私を手元に置いておきたかったのだろうが、
私は彼女の期待を裏切って結婚してしまった。

そして母親を裏切った罰としてその、実の夫に殺されてしまうのだ。

きっと、実の夫は、自分が育った居心地の悪い家庭の水の匂いを漂わせていたのだろう。
その川の源流まで遡上した、メスの鮭が私で、一生懸命、居心地の悪い自分の育った家庭不和の匂いのする川の源流まで遡上しようとするうちに、

私はオスのヒグマのパンチをくらい,三途の川原に打ち上げられたのだ。

風呂場でどうされたか、簡単に書いておこう。

いつものようにボスボスと鈍い音がするまで拳で殴られ、蹴られて、身動きできなくされてから、ふろ水が入ったバスタブに顔を突っ込まれて、そのままでいたのだった。

あ、途中で、水栓を抜く、くらいの技は持っている。水の水位が下がれば、空気も据えるから。それくらいの冷静さはあった。はずなのに。

詰めが甘かった。

詰めが甘くて、見事に首をきゅきゅっと絞められ、酸素不足で脳死してしまった。
心臓は生きていたのに、だ。脳みそが死んでしまったら、どうにもならない。

死ぬときは、もうそうだなあ、なんと説明しようか、そう。麻酔が効くときの瞬間を思い出してもらいたい。とはいえ、麻酔を打つ機会なんて、普通に生きていたらそう簡単に遭遇できるものでもないだろう。

とにかく、私は死んでしまった。

こんなに簡単に死ねるのなら、こいつに悩まされて鬱とかになっているんじゃなかった。
と私は思った。QOLが低すぎる自分の人生を、ああ、哀れだな、と思った。

まあ、仕方がない。これが私の人生なのだ。

実の母親のうっぷん晴らしの標的になり、実の夫に縊り殺される人生。
可愛そうね、と言いながら週刊誌とか、ネットを舐めるように眺めている暇女のしたり顔の幻想が見える。

あああ、死んでいるんだから、幻想とかじゃない。

実際にそこに行けばいい。死んだらどこでもドアが開くから行きたいところに行けるのだから。うん、そこに行こう。と思ったけど、やめて、実の夫が留置されている留置所に行ってみた。

「あなた、あなた」
ちょうど夜中で実の夫は緑色のジャージを着こんで寝腐っていた。
「あなた、ねえ、起きて」

「うぎゃあああああああ!」
実の夫はこれ以上、見開けないというくらい目を見開いて私を見た。

「ねえ、わたしよ、どうしたの?」
彼は、頭を押さえつけて床に突っ伏した。
「来たわよ、寂しいと思って」

「うぎゃあああああああ!」
ふうん、面白いなあ。と私は思った。
死んだら何でも出来るんだ。生きている間はなんでこんな情けない夫を
実の夫と思って恐れていたのかしら?

私は振り返った。

すると、廊下の向こうにガラスがあり、そのガラスに自分の姿が映ったのが見えた。

「ああああ、なるほど」
私は死んだときのまま、殴られて、顔中が黒い痣だらけだった。


#小説   #DV   #殺人   

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