うーん、そうかあ、またね
筒井詩月です
今朝方アップした記事にたくさんのスキをいただけた事、ありがとうございます
さてわたしは、以前、カウンセラーを生業にしておりましたが、わたしのカウンセリングでは、アドバイスは一切致しません。
わたしのカウンセリングは、カール・ロジャースの唱えた傾聴という手法で行います。文字通り、耳を傾け、クライアントさんの心に寄り添ってお話しを伺う手法です。
ただ聴くだけなら、誰でも出来る。
傾聴なんてただの愚痴聴きでしょ。
そう仰っしゃる方が後を断ちません。
また、わたしが傾聴をしているという事を前提に置いて、ただの会話をしている際に、自分の意見を述べたり、相手の話に反論したりすると、
「それが、傾聴カウンセラーを語ってる人のいう事?あなたは傾聴カウンセラーなんか辞めた方がいい」
という方も過去、実際におりました。
傾聴カウンセラーというのは、仕事であって、わたし個人の属性では無いのですが、どういう訳かそのような事を言われてしまうのです…
何故だろう?疑問に思いました。
わたしは昔から自分が話すよりも他人の話を聴くことの方が多かったように思います。
先日の記事にも載せたように、母の愚痴聴き役を幼い頃からずっと行っていたので、習い性になってしまったのでしょう。
わたしは多分、1日中でも人の話を聴いていられます。
同じ話を繰り返し話す人が多いので、
またあの話をしてるな、と思ったら軽く受け流すようにしています。
そうでないと、自分のメンタルが持ちません。
あまりにしつこく同じ話をしてくる人には、これからご飯食べるからまたね、とかお風呂入るからまた、タイミングが合った時に話を聴かせてね。というように
自分から断りを入れます。
これは、他人の愚痴聴き役が習い性になってしまった方にとって有効な手段だと思います。
話を元に戻しましょう。
わたしが会話をしているときに意見を述べると、怒りを買う、という話です。
おそらく、わたしは、うなずき方が上手いのでしょう。
相手の話すことに、うーん、うーん、
ほおー、と言語化しないうなずきを返します。
うーん、というのは、相手の話すことを考えながら拝聴してますよ。というサインになります。
話をしたい方は、話している相手のうなずきを得たいから他人に話をする、と言っても過言ではありません
自分の話を聴いてもらうという事は、自己重要感が得られるという効果があるからです。
「わたしは人に聴いて貰えるだけの重要な話が出来る」
「わたしは人に重んじられる存在だ」
そう感じる事によって、自己受容が促進される訳です。
悩みの多くは、この自己受容ができていない事から起こる、焦りや不安、恐れです。
わたしが会話をする相手を怒らせるのは、わたしの責任では無く、
相手がわたしに依存しているからに他なりません。
この人はわたしの話を聴いてくれる人だ。無条件で承認してくれる人の筈だ。
そういう相手の、わたしに対する期待値が高まれば高まるほど、わたしがわたしの話をすることが許せなくなるらしいのです。
翻って見れば、カウンセラー冥利に尽きます。
しかし、わたしも1人の人間であり、悩みも有れば、人には言わない悲しみや苦しみだってあります。
愚痴を聴いて育ったので、愚痴で返す事もありますが、基本的に愚痴は嫌いです。
愚痴を言うと自分も相手も疲れます。
そこで、愚痴に乗らない手段としての
うーん、の登場です。
うーん、といううなずきはとても便利です。
話を聴いてますよというサインにもなれば、良く分からないから考えさせてねという意味にも使えるし、うーん、そうかあ、大変なんだね、という共感にも使えます。
もしも、あなたの周りに愚痴が好きで
あなたを愚痴地獄に陥れてしまう人がいたとしたら、
うーん、と
そうかあ、と
また聴かせてね、でスルー&ブロック
してみてはいかがでしょう。
ご健闘をお祈り致します。