なぜ人は生きるのか
ずうーと長い間、疑問であった。(今も確約は取れてはいない)
なぜ人間は生きているのか。
何のために生きるのか。
宇宙は、「ビッグバン」という大爆発によって、出来たらしい。
そして地球のように水や空気がある、生命がいる星はないらしい。
その中で地球という星で、多くの生き物がいる中で、人間は生息している。
人間は日々なにをしているのか。
食べて寝て・・・。それだけではない。
銀行に生き、コンビニに生き、遊園地で遊んだり、美術館で絵画を眺める。
生きるだけでは飽き足らず、生きるのには必要ないことをしている。
ひとえに、この宇宙、地球、人類の誕生は、決して偶然の産物ではない、というのが自論だ。
こんな奇跡みたいなことが偶然起きるか?
だれかの手が入っているとしか考えられない。
それは一体誰なのか。
もし神がいるとすれば、そうなのかもしれない。
ただ、人間ではない誰か、“人ならざるもの”が介在しているとしか考えられない。
皆さんは、「シムシティ」というゲームをご存知だろうか。
まさに自分が神さまになったような感じで、町を作るテレビゲームだ。
これと似ている気がする。
要は、神的な“人ならざるもの”が、ゲーム感覚で、この宇宙を地球を、人類を作った。
それを宇宙の外から眺めている。
そう、テレビ画面越しにゲームをしているように。
しかし、この神さまにも、予想外のことが出て来た。
少し賢くしただけの人間が、思った以上に賢くなってしまい、色々発明し出したのだ。
彼らは文明を作り、文化を、アートを、音楽を、様々な生きていく上では必要ないんだけど、今までなかったクリエイティブなものを作り出していったのだ。
何も指示することなく、勝手に。生きて繁殖だけすれば良かったのに。
だから、人間の本来の生きる意味なんて、これっぽちもなくて、イレギュラーな事象が起こり、生きる以外のことに、熱中するものを作ってしまったのだ。
イレギュラーだから、下手に賢くなってしまったから、自分の存在理由を問い始めてしまう。そこに答えはないのに、だ。
変に悩む必要はなくて、そもそも生きる理由なんてないのだから、せっかく与えられた命なのだから、楽しんで使えば良いと思う。
死ぬことがプラスマイナスゼロであれば、日々悩んで苦しむ日常は、マイナスだ。であれば、ゼロの方がまだましと思ってしまうかもしれない。
そうはならないように、思い詰めるんじゃなくて、マイナスをプラスにしようよ。せっかく自分の考え方によって、プラスになる賢い脳を持っているのだから。
そんなことを思う、火曜日の昼下がりでした。