自堕落なわたしの白湯革命。
私は、自堕落な人間だ。
というかなんというか、継続力に欠けている。
よし、明日から毎日10分英語を勉強しよう。
よし、明日から毎日10分腹筋をしよう。
毎年元日に大志を抱いては
とにかく三日と続かない。
そもそも「明日から」とか言ってる時点で
続かないことは明白だ。
面倒くさがりで、この上なく自分に甘い、
意志薄弱な人間である。
そんな私が2020年、
自分の選択によって
毎日続けてきたことがある。
「白湯」だ。
私は、毎朝白湯を飲むことにした。
2020年4月の出来事だった。
世の中の波に乗り、
いよいよ私が勤める会社でも
テレワークが始まった。
それによって大きく変わった朝の時間。
40分近くあった私の通勤時間は、
まるまる宙に浮いてしまった。
この40分。
睡眠時間を長くすることもできるし、
これまでやろうやろうとやってこなかった
勉強や筋トレタイムにすることもできる。
私は、そのどちらも選ばなかった。
理由は単純なもので。
ただ40分多く眠るなんて
己の自堕落さにさらに磨きがかかる気がして 怖かったし、
仕事の前に勉強や筋トレをするなんて
計画したところで
やろうという気持ちがこれっぽっちも
生まれてこなかった。
だけど。
せっかくこんなにも生活様式が変わったのだ、
人並みに何か新しいことをしたいと思った。
よし、こんな私でも出来る、
ちょっと「いいこと」をしよう。
難しくなくて、面倒くさくなくて、
なんか「いいこと」っぽいことをしよう。
そんな浅はかな気持ちで辿り着いたのが、
白湯を飲む行為だった。
朝起きて、カーテンをあける。
少し重たい瞼をこすりながら、
薄暗い台所へ向かう。
電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。
ごおおっという
水からお湯に変わっていく音に
耳を澄ませながら、身支度を進める。
ちょうどコンタクトレンズを付け終わる頃、
タイミングを見計らったかのように
カチッと音が鳴る。
お気に入りの赤いマグカップを取り出し、
ゆっくりと、丁寧に、熱々のお湯を注ぐ。
ほらもう、この時点で、
なんか「いいこと」をしている気分になる。
私は己の選択に誇らしい気持ちになり、
窓をあける。
そして、ベランダから空を眺めながら、
ぼけーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
白湯を飲む。
それはもう本当に、信じられないほどに、
ぼけーーーーーーーーーーーーーーーーっっと
白湯を飲む。
その時間、
私の頭は驚くほど空っぽで
私の心は不思議なほどほっとしている。
すごく、大切な時間を、
発見してしまったと思った。
こんなにも心地よい時間が、
私の毎朝に訪れるとは。
そしてこんなにも
毎日続けることが出来るとは。
それは、思わぬ収穫だった。
コップ一杯の白湯を
ずずずと飲み終える頃には、
私は謎の達成感と幸福感に満たされる。
そしてそのまま、前向きな気持ちで
食パンを焼き始めることが出来る。
これまで朝ごはんでさえ毎日つくれず、
コンビニパンに逃げ走っていた私が。
「白湯を飲む」
という選択の先に、
「パンを焼く」
という選択が出来る私がいるのだ。
そしてその先には、
「放置していた小難しい本を読もうかな」
「いっちょラジオ体操でもしようかな」
などという選択が出来る私がいるのだ。
なんか体に良さそうだし、
なんか丁寧な暮らしっぽいし、
難しくないし、面倒くさくないし…。
そんな舐め腐った気持ちで選んだ
「白湯を飲む」という行為。
それは、思わぬ方向へと鎖を繋いでいき、
私を新しい私へと導いてくれた。
白湯革命である。
もちろん、
小難しい本を読んだところで急に賢くはならないし、
ラジオ体操を1回したところで体が強くはならない。
それでも、
今までの自分は、
果たしてそんなことを実行できただろうか。
ぜったいに、できなかったと思う。
それくらい、
私は自分の自堕落さに支配されていた。
だからこそ、
毎朝白湯を飲む自分を誇らしく感じ、
積み重なった達成感が私を少し熱のある人間にしてくれた。
来年も、
明日の朝も、
私は寝起きにコップ一杯の白湯を飲むだろう。
そしてとても小さくて、
変な誇りを心に宿らせるのだ。
なんともくだらない話をしてしまったけれど、
こんなふうに私は、
私の自堕落さを許しながら、
甘やかしながら、
なりたい私を追い求めればいいんだな
ということを知った。
2021年も、
そんなに難しくなくて、面倒くさくなくて、
でもなーんか「いいこと」を、
選んでいけたらいいなあ。
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