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かわら版No.16 文化を失う前に。社会が社会として持続するための世代間継承

日頃よりお読みいただきありがとうございます。この度はまちの文化活動団体について、課題感を書かせていただきます。

大きな分岐点に来ていると思う。多少の幅はあるけれど、町内会の年齢のボリュームゾーンは一番が70代、60代、50代と続き、約70代の人数の半分以下ぐらいの人数が40代となる。そこから30代、20代で40代の半分以下となる。

僕は市内の文化活動団体のいくつかに所属しているけれど、その主要プレイヤーは70歳以上の方々である。僕の年代の40代は、ほとんどいないのが現状である。僕の祖父祖母の世代は、60歳定年で会社をリタイヤし、余生をそれまでの会社勤めとは異なる趣味や学びの時間に人生を割り当てることができた。おそらく今の80歳から85歳前後がその悠々自適世代の最後尾となっているのではないか。会社勤めのエネルギーを趣味や学びのエネルギーに換え、定年からの20年間を自分のために社会のために使うことができた経済的にも精神的にも安定した世代である。

福間良明「勤労青年」の教養文化史(岩波新書)では、このような安定した世代を「勤労青年」と呼び、誰もが教養にあこがれた時代であり、勤労と教養意欲を社会階級格差ゆえの何クソ根性が支えていたとしている。そして、後、高度経済成長と共に社会が総じて中産階級化(あるいは総じて中流階級意識化)した結果、社会階級格差の消滅と共に、この何クソ根性・精神の向上意欲もまた消失したとしている。

米沢で活動する文化活動団体のメンバー各位は、このようなマスが消失した後も、それを乗り越え、社会階級格差ゆえの何クソ根性ではなく、趣味や学びの中から真の面白さを知り、真実を模索し、人格を磨いくことに人生の豊かさを覚えた人々ではないだろか。でなければ、半世紀という文化活動を続けることはできないだろう。

現在、“勤労青年”たちは、80歳を超え、今でもコツコツと学びと遊びのあわひ(あわい)に生きている。そして、この方々以上の皆さんが強靭な文化成熟の社会文化を築かれてきた。だからいま多くの文化活動団体が、高齢化し、この国の失われた30年を経て、今後5~10年間での存続の分岐に立たされている。私のたちの地域社会は、文化を失う前に、社会が社会として持続するための世代間継承という課題の真っ只中に立たされている。

僕はこの課題解決に動かなければ、議員になった意味がないだろう、この意味でもこれから10年間は、大事な10年だと思っている。過去の歴史の「低経済成長を高度文化成熟が支える」時代から、これからは「持続可能な(行き過ぎた)経済成長を高度文化成熟が止揚し相互作用する」時代にしなければなるまい。

かわら版No.16


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