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かわら版No.88 人口が増えるまち米沢は、可能か?-北海道東川町に学ぶ。
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北海道上川郡に東川町というまちがあります。この30年間人口が増え続けてきたまちです。ご存じの方も多いかもしれませんが、言わずと知れた写真で有名な町です。東川賞や国際写真フィステバルではこれまで写真史に名を刻む国内外の写真作家を多く輩出しています。米沢出身の偉大な写真作家の故細江英公氏も受賞者の一人です(2001年)。気候は、米沢よりもずっとずっと寒く、米沢と同じく特別豪雪地帯です。東川町には、水道がないことも有名です、生活用水は大自然の恵みの地下水で賄っています。
では、なぜ東川町はこの30年間人口を増やし続けることができたのでしょうか。実は東川町も一時は人口減少に喘ぐ町でした。しかし、1993年に人口7,000人を下回って以降は、転じてほぼ増え続けており、2025年1月末時点の人口は8,600を超えるまでに増えています。転機は、1985年の「写真の町宣言」、田園風景など豊かな自然景観などをまちの個性と捉え、写真という切口で町をPRし始めたのがきかっけだと言います。7月に開催される上記の国際写真フィステバルには3万人が訪れます。「写真の町」というポジションニングが、人口が30年間も増え続ける契機であったことには、シンプルであるがゆえにただただ驚かされます。
もう一つ東川町には、“適疎”という考え方があります。東川町が発信するnoteによると、人口増加目標は掲げず、「適当に疎が存在する」という意味だそうです。人として本来の居場所すなわち適当に疎が存在する町を目指していると言います。まちの歴史と環境、写真という文化の徹底した磨き上げ、都会とは異なる大自然の恵みと生活時間、こうした価値に共感した移住者・新しい町人による新たな化学反応が、東川町の本質的な魅力の向上に繋がっているのかも知れません。今では町人の半分が移住者です。
米沢市も、このまちの魅力を微分して細かに分けて考え、各地域の特性とその地域では何を魅力として発信していくことが“適疎”なのか、考え抜く必要があるのだと思います。そして、米沢で生活するということは、それにプラスして、人生の固有の意味や、他者とのふれあい、社会全体のゆたかさ、さらにはいのちの根源に開かれていくような、そんな場としての魅力が追求できるまちであってもいいように思うのです。
米沢市議会は、3月定例会です。令和7年度当初予算の議決を含む重要な議会になります。しっかり臨みたいと思います。
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かわら版No.88
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