見出し画像

かわら版No.71 日本一のアーケード商店街 視察地・香川県高松市から考える

日頃よりお読みいただきありがとうござます。

今回は、前回につづき、視察地・香川県高松市からです。米沢では、中心市街地の繁華街が力を失って久しいわけです。最も一等地された街の中心地には、ドラックストアが建っています。米沢市の中心市街地政策は、米沢らしさという点では、残念ながら上手くいっているとは言えません。

この点、香川県高松市は、日本一のアーケード商店街があります。総称・高松中央商店街は、8つもの商店街で構成される総延長約2.7キロのアーケード街です。日本一の長さを誇り、新旧どちらの顔もあわせもつ商店街では、ショッピングや飲食が一日中楽しめます。休日にはイベントが開催され、たくさんの人で賑わいます。夜は夜で、高松名物のうどんや骨付き鳥の人気店など高松グルメを満喫でき、また歓楽街としてネオン街になります。米沢では難しくなった商店街の雰囲気と、同空間異時間で山形県にはない歓楽街のパワーを感じることができます。

【参考】

“商店街”の盛衰史は、新雅史著「商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 」(光文社新書,2012年)が、明瞭で詳しいです。

 時は大正期。当時の日本は第1次世界大戦の終結と共に、深刻な不況に陥った。各地の農村は苦しみ、離農者の都市への流入が相次いだ。彼らは商売を始め、結果、零細小売業が急増し、過密化する。
 困ったのは、消費者の側だった。にわか仕込みの小売商には、専門性がない。粗悪品が横行し、価格も安定しない。そこで、消費者たちは協同組合をつくって対抗し、行政は公設市場設置を進めた。繁華街には百貨店が登場し、「遊覧の空間」が誕生した。
 零細小売商は追い込まれた。彼らは協同組合・公設市場・百貨店と対立したが、次第にそれらの長所を貪欲(どんよく)に吸収することで生き残りを図るようになる。そこで登場したのが商店街だ。彼らは異業種で連帯し、商店の空間的集約を図った。専門店の連なりを重視し、「横の百貨店」を目指したのだ。
※下記リンクより引用
https://book.asahi.com/article/11642578

「商店街はなぜ滅びるのか」書評  他的経営脱し、公共空間再生を(評者: 中島岳志 / 朝⽇新聞掲載:2012年06月24日)

確かにもはや、地方のまちは、大手資本無しでは成り立たないかもしれませんし、商店街や繁華街を失ってそのありがたみに気づくときには、すでに遅きに失しているに違いなのでしょう。米沢のまちのメインストリートは、ドラックストア商店街と言っても大袈裟ではない状況です。しかし、このまま指をくわえて見ているだけなのでしょうか?

高松中央商店街は、アーケードによって空間自体が包摂され内的な空間をつくり出しています。そこに佇むとき、その圧倒的連続性あるスケール感ゆえ、通常の区域による規制だけでなく、空間による規制の力が大きく働いていることに、あらためて気付かざる得ないのです。さらに言えば、空間内存在としての商店や人間には絡み合ったモノ同士がつくる特有の力が構成されると言い得るのです。

そこで、豪雪地帯の米沢ではアーケードこそ難しいかもしれませんが、
まず、米沢市のすべきこと、
①残したい場所をゾーニングすること
②残したい又は在りたい姿を、デザインすること
③残したい又は在りたいかたちとするためにルールをつくること
④上記について、美意識に基づき、貫徹すること

米沢市は、新しい総合計画の中で、実行に移すべきです。米沢市に残された特別な時間はありません。目指すべき答えは、明確なのです。

この度も最後までお読みいただきありがとうございました。

かわら版No.71


いいなと思ったら応援しよう!