
かわら版No.66 米沢の芸術・アート
いつもお読みいただきありがとうございます。
今週末9月21日(土)から9月29日(日)まで米沢市内では、手作りのアートイベント、ミナミハラアートウォークが開催中です。
オープニングイベントでは、今年は、山形大学工学部建築デザイン学科のサークルの方々が作製したコンクリートのイーゼル作品の寄贈や、米沢の民謡一家さんの太鼓公演、参加作家さんお一人お一人の紹介がありました。会場は、南原小学校のコモンホール、地元から現場から何かを作ろうとする姿勢が、垣間見えます。
米沢という土地柄は、上杉鷹山公の藩政改革以降の影響もあるかもしれません、それまでの庶民芸術は、民俗学の柳田國男が一般的に指摘するように、中心部から周辺部に保存されてきたようにも思います。“ようにも”とするのは、そのような実証研究がないので、あくまで学術的裏付けのない私の経験的印象にすぎないことをご容赦ください。
もっとも、米沢は、近現代においては、建築の伊東忠太博士、日本画の福王寺法林さん、写真の細江英公さん、詩の吉本隆明さんなど、僕が知るだけでも、この方々がいなければ、各芸術史は語ることはできないし、成立することも難しいと評価されるような、米沢ゆかりの作家がいます。
ですが、米沢には、美術館も芸術公園もありません。専用の音楽ホールもありませんし、劇場もないのです。これは残念なことです。
芸術は、すべての肯定です。どんな小さなこと、至らないこと、つまらないこと、それが孤独であっても、それらに力を与え、それまでの世界とはまったく異なる世界へ連れ去ってくれるのです。昨日の世界と明日の世界が、昨日の自分と明日の自分が異なってもよい、と告げてくれるのです。現代美術の岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言いました。芸術は、エネルギーを人間生活にもたらします。米沢を元気にするためには、政策としても、そろそろ本腰を入れて、芸術と向かい合い、人新世の時代の、情熱と覚悟、知識と知恵を総動員する必要があると思います。
【山形市と東北芸術工科大学の芸術によるまちづくり】
【最近、芸術でまちづくりをする、地方自治体例】
【さらに、先を行こうとしてるなと、思わせられる事例】
最後に、政治との関係で申し上げますと、政治と芸術は、本質的に相性がよろしくありません。ゆえに、必要なのです。芸術は、自由です。どんな小さなこと、至らないこと、つまらないこと、それらに力を与えると申し上げました。しかし、本当に政治が充実するためには、政治のカウンターパワーとしての芸術の力は、大切なのです。
いよいよ、季節は秋、芸術の秋をお楽しみくださいませ。
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かわら版No.66