お金から考える「私たちはどう生きるか」 【青二才の哲学エッセイ vol.27】
儲け話に対してちょっとした拒絶反応を起こしてしまう。
とにかく稼ぐことを一番の目的に話を進められるとなんとなくモヤっとしてしまうのだ。つい先日、取引先の人と自分の会社の将来について色々と話すことがあったのだが、ことあるごとに「こうすれば手取り早く儲けられますよね」という風に返されてちょっとげんなりしてしまった。「お金っていいものを生み出すその結果として、あとからついてくるものじゃないんですか」と言いたくなった。実際に言う勇気はなかったけど。
お金を稼ぐことを大きな目的に置くことに私が違和感を持つのはなぜだろう。お金はあとからついてくるという価値観を支持するのはなぜだろう。そっちの方が道徳的に美しいと感じるからだろうか。それをまた「どうして」って問われると「うーん・・・」ってなってしまうけど。もしかしたら、お金を一番の目的として求めることは卑しいことだという価値観が、自分でも気づかないうちに刷り込まれていったのかもしれない。これが育った環境によるものなのか、教育によるものなのか、経験に基づくものなのかは正直わからない。全部当てはまるかもしれないし、全く別の要因かもしれない。はたまた、「人にそういう価値観でもって将来のことを伝える方が賛同を得られやすいのではないか」という直観が自分の中にあるからなのかもしれない。「まずは人の役立つことを、後世に良い影響を残すことを第一に考えようよ」ということを声を大にして言いたくなる。
でも、お金をたくさん稼いで、社会に循環させることそれ自体が大きな社会貢献だよなとも思う。以前たまたま、港区のタワーマンションの最上階に住む人の話を、まさにその場所で聞く機会があった。その人は、「自分の持つお金が増えていくことが楽しくて、それを原動力にビジネスを拡げていったら今の自分になった」と言っていた。主に投資や飲食店経営で稼いでいて、そこで生み出したお金の一部は社会貢献活動にも充てているそうだ。この人はお金稼ぐことを一番の目的として仕事をしている。でも私よりはるかに社会に貢献している。そう思うとなんだか自分がちっぽけに見えてくる。結局何が社会に役に立つことなのか私に分かることなのだろうか、と。
ただ、過程はどうであれ、社会に貢献したいという想いは共通しているはず。今は私なりに社会に貢献しつつお金も生み出していきたいという気持ちが強い。欲張りだろうか。なんにせよ、お金との向き合い方は「どう生きるか」というその人の姿勢を如実に映す気がする。こんな感じで私自身うまくまとめきれてないが、これからも向き合っていきたい問いである。みんなはこの問いにどう答えるだろうか。
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