顔から性格が作られる(かもしれない) 【青二才の哲学エッセイ vol.28】
性格が顔に表れるというのはよく聞く。確かに私のよく知る優しい人は目つきも柔らかくて優しそうな顔もしているし、取引先の怖い人は眉間にシワが寄っていて怖そうな顔をしている。顔を思い出すだけで緊張してしまう。人相学というものもあるし多分そうなのだろう。
でも、顔から性格が作られる部分もあるのではないか。
他の人が自分の顔を見てからの自分に対する反応で、自分の性格に影響を及ぼす、ということだ。こういう仮説を立てるようになったのは、私の実体験によるところが大きい。だからあくまで「そういう考えもあるんだ」というぐらいの感じで読んで欲しい。
私は他の人から「真面目そうな顔をしている」と言われることが多い。真面目そうというものがどういうものなのか自分では掴みにくいものではあるが、少なくとも、やんちゃそう、怖そうという印象はまず持たれないだろうというのは鏡を見て分かる。そういうこともあってか、特に初対面の人、付き合いの短い人からは、「この人は真面目な人だ」という気持ちで接せられていることが多い気がする。ここには性格が顔に出るという価値観が多くの人の間で浸透していることや、その人自身の経験もあるのだろう。なにはともあれ真面目そうな人という印象を持たれているわけだ。そうなると、私がもし、その人の予測にそぐわない行動をすると「えっ、なんかイメージと違うよね」となる。特によろしくないギャップなら私への印象は悪くなる。例えば、不真面目な行動をとったり、なんかチャラそうな行動をとったりしたら相手に受け入れてもらえない。
相手に受け入れてもらえないというのはつらいので、とりあえずそういう行動はしないようにしようと行動を変えていく。自分が元々持っている特徴と相手からの反応で擦り合わせを行う。そっちの方が社会の中で過ごす上で有利だからだ。こうして相手に見せる性格に少しずつ影響を及ぼしていく。顔から性格が作られる部分もあるのではと思うのはこういうことだ。
ただし、「部分もある」と言ったように、あくまで影響を及ぼすのは一部分だとは思う。相手にとっては良いギャップで受け入れてもらえるなら、自分の行動を変えようとはならないかもしれない。(怖い顔の人がスイーツ好きで可愛い部分があるとか、チャラそうに見えて真面目とか)また、相手からたとえ否定されてもどうしても変えられない部分もあるだろうし、多少のことを言われたくらいでは気にしないという人もいるだろう。ただ、人はどうしても顔を見て先入観を持ってしまうし、他人の反応から自分の行動に影響も及ぼす。そんなわけで私の考えもあながちハズレてはいないかなとは思っている。
こういうことを言うと「元々の顔のいいやつが結局有利」「持って生まれた才能が全て」とかいう運命論を加速させそうで怖い。それで「どうせダメなんだ」という諦めの空気が広まるのは残念だし、私の本意ではない。確かに実際に顔や才能が違いを生み出す部分はたくさんある。でもそういう価値観と現実的に向き合って、どう生きるか、どう考えるかを私は考えていきたい。なんのために生きるかを失わせるような価値観は、誰にとってもプラスにならないはずである。私は自分の顔が特段好きなわけではないけれども、自分で自分を誇りに思える人生を歩みたい。
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