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あやしげな組織に誘われ続けて思うこと(前編) 【青二才の哲学エッセイ vol.14】

昔から、なぜだかわからないけども、新興宗教やらよくわからないビジネス組織によく誘われる。最近でも飲み会で初めて会った人に後日呼び出され、うまい投資話をされた。「絶対損しない。やらない人は本当にもったいない。」と。絶対って言われると逆に不安になる。デメリットも提示してもらえた方が安心できるから不思議だ。仕事で営業をしている私としてはある意味勉強になる。丁重にお断りしたら次から連絡がピタリとなくなった。手当たり次第誘っているのだろうか。すごくいい人だと思ったのに。

馴染みの友達にこれらの話をすると決まって、「お前ってなんかすぐ騙せそうだもんな。お人好しっぽく見えるし、断りきらなそう。ちょろいだろうな。」そんな風にあっけらかんと言って笑う。なんとひどいやつ。「懐が深い」とか「包容力がある」とかちょっとはいいように言葉を選んでくれ。自分では意志の強い人間だと思っているのになあ。滲み出ている雰囲気はどうやら違うらしい。


大学4年生の時には、バイト先の後輩の女の子から、新興宗教へのお誘いがあった。
その時はLINEで突然食事に誘われたのだ。普段ご飯に行くような間柄でもなかったので、とてもびっくりしたけど、嬉しかった。新興宗教に入っているということも知らなかったこともあり、「俺に気があるのかな」とか「もしかして告白なんかされちゃったり〜?」とか浮ついた気持ちを持ちながらで約束した。今思うとなんとまあ単純な男だろうか。今もそんなもんだとも思うけど。

当日。大学近くの居酒屋で食事。その子とはバイト中でもよく話す仲だったので、会話も弾み、楽しかった。その子の雰囲気はいつもと変わらないように見えた。(もしなんかあるとしたら別れ際かな〜)なんて思いつつ。
1時間半近く経った頃、向こうが少しソワソワし出したように見えた。会話の流れが止まった。(これは!)と思い、「どうしたの?」なんてちょっと優しい口調で聞いてみた。気分はドラマの主人公である。今思うととても気持ち悪い。俯いていた彼女は上目遣いをしながらこう言った。
「先輩は幸せになりたいと思いませんか。」
あれ?どういう意味なんだ?私はおそらく困惑した表情を浮かべていたと思うが、意に介さず彼女は続ける。
「私、実は○○教というのに入っていて・・・」
名前だけは聞いたことがあった。堰を切ったように彼女はその宗教の良さを話し出した。
「入る前は正直生きてて楽しくなかったんですけど、いろんな人によくしてもらえて楽しくて、勇気をもらえる場所なんです。」こんな感じだ。
なんだよ!宗教の勧誘かよ!ロマンチックな妄想全開だった私は当然落胆した。このドラマは少なくとも恋愛モノではなかったようだ。げんなりしたけれども、こうした勧誘は初めてのことだったので、なぜか逆に興味が湧いてきた。新興宗教に入っている人から内情を直接聞けるなんて、後にも先にもないかもしれない。それに、彼女がそんな風に悩みを抱えていたなんて普段の様子からは全く想像もつかなかったから、話を聞いてみたいなという気持ちにもなった。いつも明るくハキハキとしていて、仕事も真面目にかつ楽しそうにする子だったから。

詳細な内容はそこまで覚えていないので割愛するが、どれだけいい宗教なのかということを熱心に語ってくれた。その姿を見て、彼女にとってかけがえのない救われる場所だということは痛いほどよく分かった。「生きてて楽しくない」と言う彼女ほどではないかもしれないが、何もかもうまくいかない時の生きづらさはよくわかる。数少ない理解者の存在が、どれほど心の支えになるかということも。ただ、その時の私は現状に不満がないわけではなかったけど、それなりに楽しくはあったし、何かのグループにどっぷり入るということが苦手だったので、丁重にお断りした。もちろん、新興宗教に対する私の偏見や先入観も多分にあったと思う。というかほとんどそれが原因といっても間違いないかもしれない。宗教と聞いた瞬間に自然と拒絶していたのだろうと今思い返しても思う。

丁重にお断りしているにも関わらず、彼女はなかなか引き下がらない。あの手この手で粘る。最終的には「先輩はもっと幸せになるべき人なんですよ!!!」と語気を荒げて言われてしまった。私は普段からそんなに不幸そうに見える人間なのだろうか。愛の告白でなかったことよりこっちの方がよっぽどショックだ。


大学の頃の友人の一人でネットワークビジネスを本業にしたやつもいる。その友人はなかなか優秀なやつで、大学在学中に難関試験を一発で突破して国家資格を取り、就職先も名の知れたいいところに行った。その業界は20代で年収1,000万を超える人もたくさんいると聞き、逆にもう嫉妬心すら湧かなかった。世界が違う感じがした。内実はよくわからないが、それだけ厳しい業界なのかもしれない。それでも、努力家で人付き合いもいいあいつならきっとうまくやっていくんだろうなと思っていた。

お互い社会人2年目になった頃、突然連絡が来た。そのビジネスの誘いだった。仕事は辞めたらしい。その時の私には到底理解ができなかった。誰にも負けないくらい努力していたことは近くで見ていたし、ずっと憧れの業界だったと言っていた。努力とそれまでの思いを全て投げ出すほどのものなのだろうか。
彼によると、すごく稼げて、なおかつ将来性のあるビジネス、らしい。今までやっていた仕事よりも魅力的だ、とも言う。なんだか煮え切らなかったけど、辞めたことや前の仕事のことについては多くを語ろうとしなかった。そんなことより、という感じで仕組みを懇切丁寧に説明してくれた。頭の良い彼らしいプレゼンのおかげですんなり理解はできた。それでも、丁重にお断りした。お金がたくさん入ってくることは確かに魅力的だ。あいつの言うことなら間違いないんじゃないかなという思いもあった。それでも、偏見と先入観による拒絶反応が優ったのかなと今振り返って思う。「やりたいことがあるからそれに時間を割きたくない」と彼には伝えた。本当のことではあるが、正直後付けだ。もちろん違法なものではないのだけれど、その集団に入って、社会的に同じ括りで見られることは勘弁だ、という感情があったことは否定できない。新興宗教の誘いを断った時の理由と本質的には同じだ。マジョリティであることへの安心感は根強い。

大学の頃の共通の友人にも同じように誘いがあったということを後から知った。みんなそいつと仲が良かったけれど、丁重にお断りしたそうだ。次第に疎遠になっていったみたいだ。


新興宗教やネットワークビジネスといった、世間からのイメージがあまり良くない組織に属している人達は一括りにされてしまっている気がする。自分が出会った中には印象最悪な人(というよりなってしまった人)もいれば、すごくいい人達もいる。いろんな出会いがあり、その世界を見る解像度が上がる中で思うことも増えていったわけだが、続きはまた次回。

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