叩けよ、さらば開かれん
叩けよ、さらば開かれん
この言葉を聞いたことはありますか。
新約聖書の中にあることばだそうで、意味はそのまま、
チャレンジしないとその先には行けないよ、と私は解釈しています。
これは私の大学受験の年の、母校となった第一志望校の入試広報テーマでした。
最近上司に大切にしていることばは?と聞かれてふと思い出したのでした。
私の大学はキリスト教であり、周りにキリスト教の中高出身の子も多い環境で、聖書の言葉や教えは入学前と後では格段に身近に感じるようになりました。
他でもキリスト教の教えで印象に残っていることばがいくつかあります。
例えば 隣人愛。
自分を愛するように、周りの人を愛すこと、と私は解釈しています。
この言葉がなぜ印象に残っているかというと、「自分を愛する」ことが前提にあるから。当時の私には、「自分大好き」というと、「ナルシスト」「自分に特別自信がある人が思うこと」というイメージがありました。でも違うんです。
みんな自分を愛していい、そして愛は与えていくもの、ということを学びました。
他にもいろいろあって、思い出していると、キリスト教概論という、なんとも興味がそそられなかったタイトルの授業で、特別支援教育と絡めて面白い授業をしてくれた先生がいたことを思い出しました。これはまた後日書きたい。
そもそもなんで最近キリスト教について考えていたかというと、この記事に関わったからなんです。
こちらは沖縄市にある、キリスト教の保育園の求人ストーリー。このストーリーのインタビューに同行した大学生サポーターが教えてくれたのです。
「キリスト教のイメージが変わりました」
なぜかを聞いていくと、特にここに感銘を受けたとのこと。
そうだ、みんな違ってみんないい、一人一人が受け入れられる世界をつくりたい、と私が思った背景には、そんなキリスト教の感覚が身近にあったからなんだ、と気づきました。
(教えてくれた大学生ちゃんには素敵な気づきをありがとうのきもち♡)
ということで、私とキリスト教についてでした。