成長は気づくこと
noteは気づきを共有出来るので
読んでいて楽しいです。
そこで思ったのですが、
境遇は違えど似たような悩みを経験している
似たような取り組みをしている
精神的な学びを習得するための
問題集が大体一括りで共通している
個人の主観なのですが私はそのように感じます。
一定期間の学びにより、
ある法則に気づき、確信していき、
その喜びを広めたい
と、このような意識が起こるのだろうと思います。
その喜びの拡大に多くの人が取り組み、貢献している幸福感と、繋がりゆく人との縁に感謝をする。
とても素敵なことだと思います。
初めは少数からでも、時間を経て共感者が多数になり、実行する人、
提唱する人が増えて
ある程度まとまり、集合意識に溜まるとそれがだんだん常識になってくる。社会現象になる。
その国民性と言われるような、特性になることもあります。
こうやって、一定の方向へ精神的に進化させられていることを感じます。
一定の法則に人間が気づくために
一人一人の現実を完璧なタイミングで繋ぎ、見える化する法則は間違いなくあり、
そして、ある程度集合意識に溜まった情報が、常識化とする進化にも驚きを感じます。
気づいている方もいると思いますが、人間は一定の方向に進むように操られている様です。
人間にとって良くなさそうな物や出来事でも、その時代ごとに集まる全体意識も似たりよったり。
いくつかの時代を通して俯瞰してみたら、大体皆が共通した学びを習得しているように思います。
今までの学びから
何に気づいて、
これからどう在りたいか
遥か昔から究極の真理も
どの教えも似たりよったり。
その真理を個人の価値観と合わせて
商売になったり、宗門が分かれたり教育になったり、看板になったり、形の変化は人の数だけあっても、
人間のわからない意識のところで
すでにまた、
一定方向へと進まされ
特定のゴールに向かっている
一層、どこに向かっているか答えを言ってくれれば楽なのにと
思うかもしれません。
しかし、それが理性動物の性質
結局、自分の信じたいものしか信じられない人間です。
それなら、
好きなようにやってみて
苦い経験をして
学んで
修復しながら
納得して進む
生死を幾度も繰り返しながら
このような順番を通過すると
これからは、自分本来の性質から大きくぶれない様な生き方が、出来るのだと思います。
創造したり、楽しんだり好きなように出来ますが、
見せられる側と、見せる側の認識が無ければまた、学び直しとなって
ちょうど、孫悟空がお釈迦様の掌を自由に飛び回る姿にも似ている気がします。
子育ての様に、はじめから答えを言っても聞かず
学び期間に口出しせずに見守り、サポートし続ける、見えない手を引く
つくった以上責任をとるというような完全愛でしっかり守られながら
自分から真理に気づいていく
心眼が開き、その景色に心から感動すれば、歓びが倍増します
その成長を称賛し
この成長を楽しみとしてくれる存在
と直結した心が、西への送り風に乗っていける
そのように感じます。
時代の変化とともに、変わるものと
変わらないものがあり
同じ事を言っても、伝わる人と伝わらない人がいたり、
その違いって何だろうと思えば、
言葉や文字や身体が伝える道具でも
それを伝えるために必要な
伝わる法則があることを知ることが
とても大切な気がします。
専門家、熟達者、有名か無名か、
表面に見えるか見えないか
誰が言うから本当か
フォロー数など
気にする事はなく
自分をよく点検して調えていくと
本当に伝えたいことが、必要なタイミングで、受取りたい人へと繋がるのかと感じます。
巧みに理性で伝えようとしても縁起により障壁に合うこともあり
最後は、
意識の神飛行機に乗って伝わる
その為に出来ることを
自身から探く読み取っていく事が大切なように思います。
お読み頂きありがとうございます。