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ぷるぷるとしがみついているうちに、なにを。

今日は、文禄堂高円寺店のイベントのヘルプにやってきました。

僕がこのお店のリノベーションの旗ふりを担当したのは、2016年の2月。わあ、あれから2年半も経っている。(お店をつくるにあたっての背景や葛藤はこの連載に詳しい。)

その間に、お店は確実に街に溶け込み、文化(や、その手前にあるなにか)をつくっている。毎日それをつづけているお店のスタッフさんには本当に頭が下がる。店長の西岡さんの赤いフレームのメガネと柔らかい語り口に久しぶりに触れ、ホッとした。

さて、今日のイベントはすごかった。なにがすごいって、実体験から生まれた"ほんとう"がたくさん話されていたこと。

ボクは、私は、こうして本当の自分を手に入れた ~大島薫と安冨歩が語る“自由”と“自分”の見つけ方~

イベント概要は上のリンクから見ていただくとして、ここでは、私見で目からウロコだったところを書きたい。

登壇者のおふたりは異性装をされていて、男性だけど女性の服を着てお話されていた。ただ、話の展開はいわゆるLGBTQの目覚めや差別など、という次元ではない。ひとりの人間として、自分とはなにか、どう生きていくべきかが、決して深刻なトーンではなく、むしろ軽く語られていく。→しびれる。

グルーピングが男性か女性かそうではないか、ではなく、そもそも一人一人みんな違うじゃん、と。いまの社会システムに無理やり合わせようとするからしんどいじゃん、と。→ほんとそうだよな。考えもしなかった。

大抵の大人は、「ほんとうに自分がやりたいこと」に蓋をして、そうではない自分を"あえて"踏ん張って保っている。でも、いつかぷるぷるとしがみついている手の握力がなくなるように、ほんとうにたどり着く(かもしれない)。→え、俺、何にしがみついてるんだっけ。

話を聞きながら考える。
世の中すべての人が、ただただやりたい放題にしてしまうとどうなるだろう。社会は秩序を失い、軽トラックは渋谷で横転させられ、パリでは暴徒がお店の商品を我先に万引きする。

そうか、ここから先は美意識の次元だと気づいた。「靴を揃えて脱ぐ自由」という言葉があるけれど、自由に振る舞える環境があったとしても、社会や他人、ひいては自分との付き合い方は自分で選べる。つくれる。

ぷるぷると虚像にしがみついていると、そのためにエネルギーを消費してしまうから、視野が狭くなり、その人本来の力は出ない。いつか握力がなくなりしがみついている場所から離れたとき、そこで美意識を持って生きていけるかどうか。

とはいえ、その美意識を持つために、もしくはそれが何かを知るために、ぷるぷるとしがみついているふしはあると思う。少なくとも僕はそう思い当たるところはある。

そして、東京はぷるぷるの磁場が強く、みな手を離したらどこかに飛ばされてしまいそう。むしろ、自分からぷるぷるしてることに快感を持つ人さえいるだろう。

自分はいま、なににぷるぷるとしがみついているのか。それを手放すと、どこに飛んでいくのだろうか。

イベントを通じて、ずっと興奮していた。これだから、誰かの話を聴くのは面白い。全然予期せぬところから、グサリと胸を刺す。グサリが多ければ多いほど、そしてその後行動し続けることで、ぷるぷるから手が離れやすくなるだろう。

僕は、あなたは、ぷるぷるとしがみついているうちに、なにを。


#日記 #エッセイ #文禄堂 #大島薫 #安冨歩 #ぷるぷる

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