友達と遊ぶのが億劫で仕方ない

友達と遊ぶ予定をドタキャンした。

ドタキャンは余程のことがない限りしてはいけないとわかっていたけれど、昨日の夜プツッと何かの糸が切れて、なんかもう無理だ、と思い断ってしまった。

友達の誘いを断った罪悪感と、友達と遊ぶのをこんなにも億劫がってしまう自分への情けなさに気分が悪くなる。そして、いつものように家でひとり考え始める。

私はなぜ友達と遊ぶことに全く興味がわかないのか?

友達とディズニーに行きたいと思ったことがないし、大学の授業の後は絶対まっすぐ家に帰りたい。


高校あたりから、だんだん友達と遊ぶ意味がわからなくなっていった。意味なんてないのか、多分みんなは単純に楽しいから遊ぶんだよな。

思えば高校生の頃は、「平日5日も会ってるのになんでみんなは休日も会いたいのか?」と本気で不思議に思っていた。休日は家でゆっくり本を読みたかった。



そもそも、遊ぶって何をしたらいいのかわからない。一緒にご飯を食べるならわかるけど、それだけじゃだめなのか?

どこで、なにをして遊んだら、楽しいのかわからない。初詣に行くとか、お互い好きなバンドのライブに行くとかそういうイベントごとならまだわかるのだけど、普通のなにもない日常のなかで、休日に友達となにをしたらいいのかがわからない。

友達に「久しぶりに遊ぼーよ」といわれると、
「なにするの?!?!?!」と特大はてなマークが脳内に出現する。


まず、自分の興味があることに擦り合わせるのはどうか?

美術館や映画館、図書館に行くこと。古着屋さんに行くこと。だめだ、全部1人でいい。
(もしくは母か叔母と行きたい)


または、みんながやっていることを真似してみるのはどうか?

インスタ映えするカフェや展示に行く、おいしいご飯屋さんを巡る、居酒屋に行く。
だめだ、インスタ映えは自意識が邪魔をして恥ずかしくてできやしないし、ご飯にも興味がない。スーパーで買うマグロのたたきと酢飯がいちばんおいしい、毎日これでいい。お酒も全く飲めない。ちなみに車も運転できないのでドライブもできない。

終わりすぎている。 


「まだ、本当に気の合う友達に出会えてないだけじゃないか?」とか「私が気を使いすぎてて、疲れてしまうだけじゃないか?」とかも偉そうに考えたりする。

でも絶対それだけじゃない。大きな核はそこにはない気がする。

だって、友達と話していると、「めっちゃ気合うな〜考えてることほぼ同じじゃん!気持ちいい!」と思うし、新しい発見も多い。また、私の友達はみんな気遣い上手なので、もはや私が気を使わせている気がする。



昨年の11月は、バイトがほとんどなかったので、友達からのお誘いを断らず、積極的に会ってみた。

普通に楽しかった。楽しかったけど、会う前は毎回行きたくないなと思っていたし、会ってる時も帰る雰囲気になった途端ホッとしたし、帰り道がいちばんの充実感に満ちていた。


よし、これで任務完了、しばらくまた会わなくて大丈夫か、という気持ちになる。相手に失礼だろといつも思うが、本心は止められない。

当の本人はこんな最低なことを思っているのにも関わらず、友達は揃いも揃ってみんなまたすぐ誘ってくれる。   

性格や考え方が似ているな〜と思う子達もみんなここだけは決定的に違うのだ。「楽しかったからまたすぐ遊ぼう、次いつ空いてる?」と聞かれる。エッ、そこの感覚は違うのか、と私はいつも薄く絶望してしまう。



12月からバイトは忙しくなり、社会人と同じくらい働いた、190時間くらい。そうすると、貴重な休日に友達と会うことになる。

もともと働くのは好きな方だ。だから、バイトで忙しい月の私は、割とイキイキしていることが多い。でも働いて、体は必ずヘトヘトになる。人ともずっと接する職なので、心も緊張している。心身ともに疲れが取りきれていない休日に友達と会い続けてみたら、やっぱり無理だった。


図書館で借りた本たちが、読めないまま返却期限を迎えること、英語学習のアプリを開けず連続記録が途絶えた通知が来ること、録画したお笑い番組やラジオが溜まっていくこと。

これらをした上で気づいたことや考えたことをノートにまとめることができないこと。

常に薄ら疲れて、スマホしかいじれないこと。人生を前に進められている気がしないこと。

これらのことが無性に悲しくなってしまって、ついに昨日ドタキャンしてしまった。

別に、友達と遊ぶとすごく嫌な思いをするとか、めちゃくちゃ疲れるというわけじゃない。普通に楽しいのだ、でもそれ以上に楽しいと感じられることを私はもう知ってしまっている。



先日、マヂカルラブリーの野田さんがロンドンハーツで「仕事場でこの人と気が合うな、楽しいな、で終わりじゃダメなの?ご飯行かないと仲良しなことにはできないの?」というようなことをおっしゃってて、

あ、同じ人種に初めて会った、と感動した。

私は、どんなに大好きな友達でも、年に一回くらい会って、夜のファミレスでだらだら語るくらいがいいのだけど・・・それは許されないのでしょうか。


これが内向型の特徴、もしくは陰キャの特徴というのかわからないけど、

ご飯は定期的に行きたいし、遊びたいのに、「私も内向型だから、陰キャだから」とか言わないでよ!!!私とあなたは多分違うよ!!と思ってしまう。


この特徴に名前をつけて、ちゃんと棲み分けしたい。
今は「沢山遊びたい陰キャ」と「全然遊びたくない陰キャ」がごっちゃになっている。


私はあなたのことが好きだけれど、別に休日に遊びたくないよ!!!!家で本が読みたいの!!!!と大声で叫びたい気分だ。



追記

本日、大学生活最後の授業であるゼミが終わった。結局一度もゼミの飲み会に参加しなかった。もちろん合宿も、フィールドワークも。

ゼミが始まるまでは、コロナ禍で封印されていた大学時代の青春を取り戻せる🎶といろんな可能性に心躍らせていたけど、

やっぱり環境のせいじゃなかったー!
私のせいだったー!

友達は「今回こそ来てよー」といつも声をかけてくれるが(本当優しい)、「へへ、すんません」と苦笑いで直帰してしまう。


私は働いている時以外、常にどこにいてもモーレツに家に帰りたい。

だから誘いを断り、帰り道いつもモヤモヤする。加えてちょっと反省する。

そして、誘ってくれた友達に「いつも本当ありがとう、ノリ悪くてマジでごめん。」などという目的不明のメッセージを送る。


これは、、、よくないんだろうな。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集