noteはオードリー若林さんになりきって本音を吐き出す。

私は、noteを書く時、男の人の気分で書いている。


アイコンや名前が道標になっている気がするけれど、これらの前情報がなければ、文章だけ読んで私を男と思う人もいるかもしれない。


noteを書いてる時の脳内イメージは、オードリーの若林さんであることが多い。自分の思ったことを若林さんに言わせてるみたいな感覚。

それが一番心地いい。卑屈な部分も出せるし、熱がこもった文章も書ける。


やさしくあったかく、ココアがそっと出されるような文章もイイねえ〜と思うけど、自分がやるとなると卑しい自分には見合わないなと思って嫌になる。

熱くなったあとは、ちょっとチョケたい。
じゃないと恥ずかしい。でもこんなこと言ってんのも恥ずかしい。


もちろんいつも若林さんではない。

綿矢りささんの本を読んだ後は、奇天烈早口脳キレ女子高生になった気分だし、

穂村弘さんの後は、言葉遊びで巧みに沸かすのほほんおじさん、

江國香織さんの後は、つめたく柔らかい空気を纏ったヨーロッパ在住日本人女性の気分だ。


要するに私はとんでもなく影響されやすい。正直他にもいっぱいある。



じゃあ、他のことをしてる時は?

読書は女の人の気分、服を選ぶ時は男の人の気分で、恋愛は女の人の気分。

お笑いライブを観に行く時は、男の人の気分。
ライブに来るのは女性が多い。だからか芸人さんを恋愛対象として見ていると思われたくなくて、ついいつもよりボーイッシュな格好で出掛けてしまう。

たまたま街で芸人さんを見かけたときも、声をかけられない。「すみません、ファンです!応援してます!」という自分の高い声を想像しただけでヒヤッとする。


こう考えると私は、自分の中にある性別をそれぞれの場面で使い分けているみたいだ。

おもしろい発見かもしれない。


先日、ふと思いつきでひとりラジオを録ってみた。自分で聞き返して驚いた。

とてつもない女感。これは間違いなく女の人の気分で録っている!あまりの女感が脳内に生きる自分と合わなすぎて、冷や汗をかき、公開することを無事思い留まった。


ここまで書いてふと気づく。

私は多分、男の人の気分の時の自分が好きなんだ。

もちろんこれは、恋愛対象とか性的自認の話とは別次元の、もっと浅瀬の話だ。


男の人の気分ということの解像度をもう少し高めると、かわいいよりかっこいいが嬉しいということになる。


か弱い自分よりたくましい自分に涙が出るし、悩みを誰かに打ち明けることができる自分より、強がって自力で笑い飛ばす自分に誇りを持つ。

同性の友達といる時は特に、心配されるより心配する方で、わがまま言うより言われる方でいたい。

その方が安心する。

かっこよくいたいの裏には、かわいくいたくない、というのがある。

かわいくいようとする自分だと、みんなに、特に同性に嫌われそうでものすごく怖い。
かっこいいより、かわいいの裏に打算が潜みやすいと思うのは私だけの感覚だろうか?


そもそもかっこいいって偶然性から生まれることが多い気がする。偶然性から生まれるかわいさももちろんあるけど、昨今メディアで押し出されるのは、確信犯的なかわいさだ。


無計画から生まれるかっこよさと、
計画的犯行のかわいさ。

個人的な意見だと、後者はちょっとつまらないなと思ってしまう。自分が前者のみで構成されていたらいいのにな・・といつも考える。そう願いながら、若林さんの気分で、今もnoteを書いている。


ただ、こんなにもかわいこぶる自分を毛嫌いして怖がるのは、所詮、実物の私がぶりっ子だからなのだ。
残念。




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