1987年11月14日の小さなビッグバン。
ここ数ヶ月、自分のコレクションの猛烈な取捨選択を迫られる状況になり、自宅と事務所の倉庫を根こそぎひっくり返すという日々を送った。
そんな中で懐かしく、また貴重であろうブツもいくつか発見した。
とうの昔に紛失した(自分では処分した確かな記憶はないのに、もう何年も、いや10年以上も見かけないから「何かの拍子に間違えて捨てちゃったのかな?」と諦めモードだった)と思っていたモノたち。
このポスターは「現在の価値は?」という範疇ではなく、自分の美術史の中の「現代美術」というジャンルの実質的な始まりとも言えるブツであることが確かな貴重な一品だ。
今や、日本の現代美術を代表する村上隆氏や奈良美智氏とも肩を並べる(と個人的には思っている)怒涛と狂気のコラージュ作家であり絵描きである、大竹伸朗氏の今はなき佐賀町エキジビットスペースで1987年に開催された個展のポスター。
1987年当時のボクは上京したばかりの田舎臭いだけの19歳の浪人生。知識もセンスも情報量もボクを大きく上回る美術予備校(新宿美術学院)で知り合った友達と「現代美術の個展」という催しに初めて出かけた事、訪れた佐賀町エキジビットスペース(元食料倉庫の古い建物)というギャラリー空間の存在、そして大竹伸朗氏の圧倒的な作品量とその熱量、そういう全ての「処女喪失」的な体験に度肝を抜かれたのを覚えている。
名前も作品も初めて知って、初めて見た「大竹伸朗(とその作品)」という存在は、正直その時の自分には理解不可能であり、すぐに直接的な影響を受けたわけでないが、しかしその作品に対する異常なまでの執着心や偏執的な視点(「理解されない自分」という存在に対する客観的なマゾヒズム=ヒネくれた根性)というのは遠からず、そして少なからず今のボクの作品制作に対するセントラルドグマの一部になっているだろうと思う。
作品を生み出すためには一定程度は必要であり、大切な判断基準や価値基準ともなる知識や情報という「澱」とも呼べる鎧を知らず知らずのうちに身に纏ってしまった今のボクが、この時の氏の作品を見たら「あぁ、バスキアっぽいことをベーコンの手法で表現しようとしてるよね」とかなんとか、クソみたいなことしか言えないだろう。そして、そういう評論めいたことを言うのがどれほどカッコ悪いのかも知っているのに、つい言ってしまうようなオトナになったのか、、、と気づくだろう。
無知は恥であると同時に最強の武器(スパイス)でもある。
19歳の無知なボクはその時、ただただ大竹伸朗氏の全てに圧倒されただけだった。でも、それで良かったし、それ以外に何を美術に求める必要があるんだろうか。
ビジネスとして異常な巨大産業と化してしまった今の現代美術マーケットでは文脈や人脈、そして解説と誤解を上手く使いこなせる作家だけが重宝され価値を釣り上げられていく。ビジネスなんだから、それは至極当然の事であって、ダミアン・ハーストやバンクシーの例を挙げるまでもなく、商品(作品)の価値を高めるための広告宣伝がどれだけ上手く機能させられるか?が、その作家の評価や価値に直結するのは「悪」ではないが、ボクはあんまり「美」とは思わない。逆に、その部分に対して意識的に広告宣伝を行い、サブカルチャーという付加価値を積極的に利用している村上隆氏は違う視点で美術を楽しんでいるように見える。それもまた美術という分野ならではの価値観だからこそできる「戯れ」だと思う。
現代美術なんて、所詮、戯れてナンボの世界。
そんな現代美術論よりも、このポスターに話を戻そう。
ご覧の通り、ポスターには直筆の絵やサインが描かれている。
日付を見ると「14th. NOV. 1987」とある。
個展の開催日程が「11th. Nov. - 20th. Dec. 1987」とポスターに印刷されているからボクらは開催四日目に訪れたようだ。
当時、こういった美術展の情報は各美術館に置かれているフライヤーか、情報雑誌「ぴあ」くらいでしか得られなかっただろう。加えて作家の在廊予定などはどこまで正確な情報が得られたのか、、、今となっては全く覚えていないが、きっと、作家の在廊情報を得た上でこの日に訪れたんだろう。
1955年生まれの大竹氏は当時すでに32歳。決して新進気鋭の、という年齢ではなかっただろうが、当時の現代美術界(そもそも日本では「現代美術」というジャンル自体が1987年当時は今ほど注目も評価もされていないと推測される)においては十分に「新しい潮流」と評されていただろう。
追記:ボクは後追いで氏の代表作「倫敦/香港一九八〇」を知る事になるが、それが出版されたのがこの個展の前年1986年だから、すでに美術界では「知る人ぞ知る存在」だったはずだろうことは確かだ。
そんな大竹氏本人が在廊し、且つボクらが手にしていた個展のポスターを目にして「お?ポスター買ってくれたんだ?ありがとう。サインしようか?」と声を掛けてくれた時は、その作品やBGM(氏のバンド「19/JUKE」の超変態ノイズメタルダブが流れていたと記憶する)の狂気性とは真逆の柔和さに驚き、一瞬たじろいだのを今でも覚えている。
その場でポスターを広げた氏はサラサラと色んなモノを描き加え、そして「名前は?」と尋ね、ボクの名前と日付とサインを快く入れてくれた。
そして、さらに驚いたことにポスターを裏返して真っ白な状態になった所に何も躊躇わずに筆を走らせ、一気に新しい作品を描いてくれた。
この落書き程度の絵に、今、どれほどの金銭的価値があるのか判らない。判らないが知ろうとも思わないし、誰か知らない評論家やオークション会社が勝手に値踏みした「価格」になど興味もない。
そして、その価格はこのポスター(この絵も含む)の本当の価値ではないことをボクが一番判っている。
ここはデザインについて語るコンテンツなので、一応このポスターのデザインについても語っておこうと思う。
このポスターに使われているフォントは、おそらくモンセン書体集の中の「Latin Bold Condenced」ではないかと思う。しかし厳密に比べるてみると「H」の横棒「ー」が、このポスターの「H」では真っ直ぐなのに、Latin Bold Condencedでは「H」の横棒は画像のように逆「ヘ」に折れている。
しかし、それは大きな問題ではなく、ボクが伝えたいのは、このフォントは一時期ボクの大好きなフォントだったこと。
今からちょうど30年前、初めてプロのデザイナーになってすぐの頃、なにかにつけてこのフォントばかりを使っていた。
その理由がこのポスターにあったのかどうか、今となっては記憶していないが、数年前モンセン書体集から好きなフォントだけ抜粋してスキャンしたことがあり、その中にこのフォントが入っていた。それを今まさにこの文章を書いていて思い出し、そのスキャンデータをこうやって添付しながらとても不思議な縁を感じている。
デザインの話の延長で言うと、数年前に一部業界人を発端に流行った「ニューシャネル」のTシャツ。あれを初めて見た時、「あんまり好きじゃないけど、凄い気になるし、圧倒的にヒネくれたデザイナーの作品だ」と思った。
のちに、あれは大竹伸朗氏の作品だと分かり、この個展で初めて氏の作品と出会った時の自分の感情と全く同じだと気づいて、氏の作品はボクにとってはいつまでも若干の異物感を伴う理解不可能な存在なんだと思った。
なのに、というか、だからこそ、どこか惹かれるのだろう。
美術なんてのは、それでいいのだ。