玉葱、大臣、カップ
農務大臣を二番目に悩ませるのは、常に作物の不作であった。特にその年の冷害は酷く、冷害に強い玉ねぎ以外は全てが市場から消える有り様だ。市民たちは玉ねぎを食らえばよいが、玉ねぎを下賎な食品と呼んで嫌う貴族たちの胃を満たすのは難がある。
「スノッブ効果ですね。人と同じものを口にするのは嫌いだという子供のワガママです。それを通せるのは流石の権力ですが、そんな下らない理由で大臣の手を煩わせるのはよろしくない」
一番の悩みの種である、自称未来人がそう言った。彼はやや珍しい黒髪黒瞳の男で、農務大臣が初めて購入した奴隷であった。他の者が奇妙がっていたために売れ残っており、ただの貴族だった農務大臣は、その珍しさに惹かれて彼を買った。
彼を雇ってから、農務大臣は順調に昇進を重ねた。というのも、未来人を名乗る男は様々な知識を──特に農作物の知識を──身に付けており、ただの貴族だった農務大臣はその助言に従って成果を上げ続けてきたのだ。特に、秋蒔き小麦を春蒔き小麦に改造する『春化』という手法は莫大な生産量を実現したのである。
だからこそ、農務大臣は悩んでいた。自称未来人は、農務大臣にも分かるように平易な説明をする。それに納得した上で農務大臣は男の言うとおりにし、成果を上げ続ける。今回の不作でさえ、男はなんとかしてしまうのだろう。だからこその悩みだった。
もしも男が嘘を吐けば、農務大臣の地位はもちろん臣民たちの飢えが、そして国家の滅亡が待っている。仮に悪意をもって嘘を吐かないとしても、記憶違いによって結果的に嘘を吐いてしまうこともあるだろう。
だから、いい加減に自称未来人から手を引かなければならない。依存し続けてはならない。未来の知識は毒だ。抗えず、美味な毒。そんなことは農務大臣にも分かっていた。
「今回の冷害ですが、新大陸からの舶来物が役に立つでしょう。いずれあなた達がジャガイモと名付けるそれは、皮に毒こそありますが、良く腹を満たす上に美味です。そして、この作物は舶来物ですからまだまだ市場では珍しい。ですから、スノッブ効果の逆用で貴族たちも飛びつくでしょう」
「君は、本当に何でも簡単に解決してしまうのだね」
農務大臣は力無い声で言い、男が差し出したスープカップを受け取った。白いポタージュには腸詰めと飴色に加熱された玉ねぎが浮かんでいる。盛大に湯気を立てるそのスープは、美味の予感から農務大臣に唾を飲ませた。
細い目を笑みの形にした自称未来人は、手で農務大臣へと飲むように促す。政務で腹を減らしていた彼には、抗う余地はなかった。この未来人は、言い訳ができる状況を作るのも得意だったのだ。
「君が悪魔だとしても、私は従う他にないらしい」
致命の毒が含まれたそのポタージュを、農務大臣はゆっくりと口に含んだ。