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『人参』『間違える』『シーソー』
人参がシーソーに乗っていた。見間違いか、さもなくば着ぐるみか何かだと思って二度見する。確かに茎を下にした身長170cm程度の人参が茎を使って重心を調整しながらシーソーに座っていた。
「うわ、人参だ」
「私ニンジン嫌い!」
遠巻きにシーソーを眺めている子供たちが、大声でそんな事を言っていた。それどころじゃないだろうと思うと同時に胸が痛んだ。私を遠巻きにして囃し立てる同級生たちの悪意を思い出したから。
顔も何もない人参が、どこか寂しそうに見える。それはきっと私の勘違いだ。救いたいのは人参ではなく私の過去なのだから。今からするのはただの自己満足だ。
シーソーに近寄り、人参の向かいに跨った。体重をかけて人参を持ち上げてやる。応じるように人参が体重をかけていく。互い違いに体重をかけていると、相手の気持ちが分かるような気がしてくるから不思議だ。
人参がここに来ていたのは子供たちに好かれるためであること。シーソーで一緒に遊べば好いてくれるだろうということ。遠巻きに見てくる子供たちの視線が刺さる。気持ち悪いものを見るような目。人参の目論見があらかさまに失敗している事を思うと、人参がそれを受けて悲しげにしていることも伝わってくる。
ふと違和感がやってくる。人参が自身の不人気を把握していることも、人気取りのためにシーソー遊びをしに来たのも、そういうこともあるだろうで済む。だが、私は決してノンバーバルコミュニケーションの達人ではない。人参はおろか、人間の考え方すら口にしてもらわなければ分からないのだ。そんな私が、一緒にシーソー遊びをするだけで人参の思考が分かるなんてことがあるだろうか。
ああ、と気付く。これは夢だ。夢の中だから多少変なことが起こっても仕方がないのだ。だから、あるはずがない。
私の体が人参へと変わり始めているなどということは。私の過去を救うために人参へ手を差し伸べたのが間違いだったなんてことが、あるはずはない。