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『火山』『隠れる』『暖炉』

ヴェスヴィオ山が火を噴くと思った者はいなかった。

帝政華やかなりし紀元79年。ローマ帝国はイタリア、ナポリ近郊ヴェスヴィオ山の麓、ポンペイ。帝政以前に征服され、共和政ローマに編入していたその都市は、ナポリ湾から揚げられた荷物を首都ローマへと運ぶための沖仲司が集う商業都市として栄えていたのである。

その山がそこまで激しく火を噴くとは、誰も思っていなかった。

ハンニバルがローマ軍団を襲った頃に大きく火を噴いたが、それ以来は大した火を噴かず、剣闘士スパルタクスとその仲間たちが立て籠もれるほどの戦略要地ですらあったのだ。紀元62年に発生したポンペイ地震においては、ポンペイを離れるのではなく再建を選ばせた。それは商業都市として栄えていたからであったし、ナポリだけでは通商を支えきれないためのローマ市による要請でもあった。

だから、紀元79年にヴェスヴィオ山がプリニー式噴火を起こした時、火砕流は一瞬でポンペイを飲み込んだ。灰が降り続けて火砕流の跡を覆い、火山性の津波もまたポンペイを襲ったのである。その二つの災害によりポンペイは内陸となり、商業都市としての価値を失い、二度と大都市が作られることはなかった。それでも町ができ、人々は細々と暮らしていた。

逃げられた者は居なかった。誰一人として。

一人の少女がいた。その娘は奴隷であったし、ローマ人に全てを奪われた境遇を呪ってもいた。暖炉の煤取りを命じられていた。塵肺の予防を命じる法などローマ帝国にはなかったし、重い労働を課することは緩慢な処刑でもあった。ともあれ、その娘は暖炉の煤を取っていた。

大きな地鳴りの時、彼女は暖炉に隠れていた。かつてポンペイを襲った大地震の時、隠れれば生き残れることを母が知っていたからである。そのように知識を継承する仕組みがあること自体が、娘の血筋が本来は高貴であることを意味していた。

全ては無意味だった。隠れようが、逃げようが。摂氏700度にも及ぶ火砕流の前で、繁栄も、支配も、憎しみも、隷属も。

全ては焼けて、空洞ばかりが残った。

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