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『落果』『主人』『肩掛け』

 落果という言葉がある。"辺境"と主人や友人たちが言う私の故郷には存在しなかった言葉。この大帝国の首都とは違って寒いから、果実の木などというものは存在しないのだ。
 ともかく、落果というのは収穫前に果実が落ちてしまう事を言うらしい。林檎農園で働かされるようになってから知った言葉だ。風が強い日は落果に気を付けろと、口を酸っぱくして言われたものだ。落ちた果実は傷がついて足が早くなり、売り物にならなくなるからと。
 養生道具を手に鈴成りの林檎の下を歩いていると、落ちた果実を一つ見つけた。これは今日も折檻だろうなと首を振る。『収穫』の時に傷物にされた私には、もう商品としての価値がない。だからなのか別の理由があるのか、主人も私に乱暴するのをためらったりはしなかった。
 故郷で着ていたズボンはこの地の気候と習俗には合わず、いささか心許ないトゥニカという服を着せられていた。踵で揺れる襞を眺めると、それを乱暴にめくりあげる主人の手つきを思い出して震えが来た。
 落ちた林檎を見つめる。これは私と同じだから。毛皮の肩掛けを脱がされて新しい服を着せられて、知りもしない土地で農作業に使われている。もう価値が落ちたからと手荒に扱われている。見切り品という意味で、この林檎は私そのものだった。
 どうせ傷物なのだから、見られない内に食べてしまうのも悪くない。他の奴隷たちは忙しなく養生の作業を続けていて、こちらを見ている者もいない。露見すれば今夜の折檻は酷くなるだろうけれど、駄目で元々だ。
 しゃく、と口の中で甘く酸っぱい果汁が弾ける。この暑い中では慈雨より心地よいものだ。落ちた果実でも時さえ合えば価値は残っているらしい。となれば価値とは何なのかと思ったが、私は今代の皇帝みたいな哲学者ではない。考えるだけ無駄だ。
 結局、落ちた林檎を齧っているところを誰かに見られていたらしく、その夜の折檻は普段より手酷いものになった。私の価値がまだ残っていればいいなと思って、主人の乱暴な手に身を委ねた。

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