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序章 “物語は始まったのだ。”


まず軽い自己紹介を。
“akie” と申します。


【 特徴 】

・童顔のため、未だに「学生さんですか?」と言われる容姿。 よい大人です。

・ミニモニに入れるサイズ感。

・第一印象は妖精っぽい。ピクミン。コジコジ。人間ではない何か。そんな感じで言われます。


【 今のところ、やっているあれこれ 】


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他拠点居住生活を送るパラレルワーカーです。

主にアーティスト活動をしています。壁面や車に描き描き。気持ちの赴くままに描くので、基本下書きはしません。リアルなその場でうまれていくナマモノ感がたまらないのです。自然やアウトドアが大好きなので、影響されているのは植物などからのイメージが多いです。アナログ、デジタル、フィギュア、彫刻など興味のあるものは何でもやります(笑)とにかくSNSが苦手なもので、発信が出来ていませんでした。(なので得意な人助けてください笑笑)今年は芸術祭に参加したかった。。コロナに負けないぞ( ; _ ; )/~~~

・伝統工芸を愛し、下駄や割烹着が日常にある世界を作っています。

・そもそも生き方自体をコンテンツにしようとしています。

・ゆるくモデル的な活動もしています。

・オーガニック飲食のケータリング、間借り店舗で飲食をやったり、飲食イベントに出店していました。(ゆるくお休み中)

・食育のコーチングもしており、食生活の改善やアドバイス、心と体を総合的に含めて全力でサポートしていました。(ゆるくお休み中)

・自然育児の保育士。障害をもつ個性豊かなかわいい子どもたちと過ごす。

・洋服500着保持からいきなり目覚めたミニマリスト。本物思考に走ってからは、このシンプル思考。物を持たないから、悩まない。場所を取らない。時間を有効に使えるように。

まだあれこれやっていますが、長くなるので割愛します。笑

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他拠点生活を送り、ふわふわとあれもこれもやっているもんだから、親友たちや家族ですら、連絡を取る度に

「今あなた、まずどこにいるの?そして今、何をやってるの?笑」

と言われる始末。そんな人です。枠に当てはまる生き方はしていません。

それでいいんです、それがいいんです。やりたいこと全部飽きるまでやりたい人なのです。

そんな感じで自由にふわふわ気ままに暮らしていますが、、


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今回は、、、、、、どどん。

“ akie物語。 生い立ちとそこから生まれた野望 ”

少し長くなりますが、どうぞ宜しくお願いします。


長女。それ故にしっかりしなければいけないという謎の長女故の責任感にさいなまれながらも、家族親戚から溺愛されて育つ。

幼少期の印象はどうだろう。決して自分から前に出るようなタイプではなく、そっと後ろでマジメにやっているタイプ。


小学校の頃、絵画コンクールで絵が入賞?した頃に「もしかすると絵が得意なのかも・:*+.\(( °ω° ))/.:+」と思ったけれど、特にその後劇的に花開くということはしばらくなかったなあ。確か6年生くらいから、前に出たいと思うようになり、積極的に手を挙げられるようになっていったように思う。(きっかけはなんだったのか思い出そうとするけど、思い出せない)

その後、学生時代に環境の変化に耐えきれず、HSPそして閉所恐怖症になりはじめ、教室の椅子に座っていられなくなる。何度も身体の症状を勘違いだと誤魔化し誤魔化し暗示をかけてみても汗とソワソワとお腹の違和感がとまらくなり、しまいには普通に授業を受けることが出来なくなり、苦しむ。


その頃はバスも息が出来なくなるので乗れない、電車も閉塞感で怖い、ご飯を食べにいくのも辛い状態でみんなが当たり前に行う普通の生活を送ることがままならず、これこそ真のお先真っ暗状態だったと思う。

↓   ※イメージ図 自分のガードガチガチモード。

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普通の暮らしができない自分がとてつもなく腹立たしかったし、自分のことなのに理解に苦しんだ。「何でこんな普通のことができないの?」が毎日の葛藤だった。自分がこれだけ理解するのに苦しんだのだから、周りは余計わからなかったと思う。当時はより繊細すぎてものすごく生真面目だったので、「みんなと同じように出来ない。普通にできないことへのコンプレックス」はこの頃形成されたのだなあ。「どうせそうは言ってもわかってもらえない。本当にこの人は私の味方でいてくれるのであろうか。信用していい人なのだろうか。」みたいな目で人を見ていたところもあった。自分の心のシャッターがしまった時のあの感じは、今でもよく覚えている。今は個性や他者と違うことへの理解の時代になってきているから、だいぶこれでも生きやすい時代になってきているように感じるところもあるけど、出る杭は打たれる感じのあの時の苦しさは絶望だった。

あの頃を思い出すと、今の自分の暮らしは奇跡だなと思う。当時はこんな未来が訪れるなんて微塵も思わなかったから。当時のお医者さんにも完治考えるのではなく、うまくお付き合いしていきましょうと言われていたから。

こういうわけでメンタルをやられてしまい、大学進学をも危ぶまれる。けれど、本当に本当にありがたいことに周りの友達に恵まれたくさん救われた。仲のよい子たちがよく保健室にきてくれてしょっちゅうわいわい出来たり、あえて事情は聞かず、普通に接してくれる感じが心地よかった。高校時代も色々あったけど、楽しかったな。そんなこんなで、大好きな家族やあたたかい仲間と理解ある先生に囲まれて、なんとか生活に折り合いをつけながら大学へ進学することになる。自分の身体との付き合い方と無理なく自分のペースで社会に適応することを学び、少しずつ自分のやりたいことにもチャレンジできるようになった。この頃には既に何か身体を使って表現したい人であり、劇団に入ってみたり、社会人チームのスポーツにも混ぜてもらうこともあった。


ここまで読んでも幸せものだなと思う。こういう人生になったお陰さまでたくさんの痛み苦しみはもちろん様々な感情や人のあたたかさを自分の身体で体感させていただいたと思うと本当に感謝しかないなと思う。周りに生かされていたなと思う。ああ、泣いちゃう。


高校時代との環境の変化に戸惑い迷いながらも、大学生活もこれまた素敵な人たちの大きな大きな支えにより、なんとか日々を乗り越える。以前に比べて身体との気持ちの折り合いができるようになり、自分を受け入れられるようになっていった。この頃から自分の特性やできないこと、苦手なことを理解してもらえるように自分から少しずつだけれどわかってもらえそうな人に言えるようになる。

そして、学生時代から上記のように普通ではなかったため、“普通である”という言葉にとてつもない違和感を感じていたし、マイノリティ、少数派の気持ちや特に弱者(ニュアンスがしっくりこないけど)に寄り添いたいという気持ちが強く芽生えていたように思う。“普通でいたくない”とも思っていたなあ。だって普通にできないしっていう。笑

この頃は大学時代から校外で活動することの方が多く、(あ、でも学内のオープンキャンパスの企画運営の活動ももりもりやっていたけれど)NPOを何個も掛け持ち、講演会のお手伝いをしたり、イベントを作り上げたり、学生ながらワークショップで企画を持たせていただいたり、様々な業種のボランティアや飽き性故にたくさんのアルバイトをし、1人旅やヒッチハイクを通して、たくさんの面白い生き方をした大人たちに出逢った。

小さい頃からそういうところはあったのだけれど、何にでもなぜ?どうしてこうするの?こういう風にしたらいいのでは?という目線で物事を見て考察し、実践するというようなことが好きで、みんなで作り上げることに喜びを感じ、様々な経験をさせてもらっていたなあ。

この頃のマイブームは手帳を予定で真っ黒にすること。謎のびっちり予定を埋めたい欲。とにかくこの頃は何でもチャレンジしたかったし、何かわかんないけど吸収したいし、とにかく動きたいし、誰かに求められたいし、いろんな人に出逢いたいのエネルギーが強かったように思う。

もちろん恋愛でもたくさんのことを学んだ。毎日がネオンの光のようにあれもこれもキラキラしていたかと思えば、急にイナズマ電撃が走るような痛みをも伴う。何度も今回ばかりは立ち直れないと思うのだが、時間が解決していくこれまた不思議。そしてまた恋をしていくもの。やはり人間は愛の生き物である。下手だけども、恋愛って人をものすごく色鮮やかに心豊かに成長させるものだと思う。

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そして、「その頃の自分は一体何者で何をしたいのだろう」と“カタチがあるようで正解のないぼんやり”について若いなりに真剣に考えていたように思う。


大学時代にこれだけ多くの自由な生き方をしている大人たちに出逢えたことが今の私にとって大きな大きな財産。

「頭のネジが外れた大人たちを見てこんな人たちもいる。私もこれでいいんだ。」と衝撃を覚えた。ここが大きく羽ばたくターニングポイントである。



その反面、あまりにも自由に働く大人たちを見てとてつもなく憧れたし紛れもなく励みになったのだけれども「働くってなんだろう。」と本気で悩んでいた私にはものすごい刺激物でより悩むことに。この頃「自分のやりたいことを自分で選んでやってみるんじゃい!」と心ではわかりながらも、小さい頃から社会に刷り込まれてきた“安定”を選ぶ。

大学卒業後、結果からいうと累計5年くらい?保育士を続ける。強靭なメンタルと体力を求められながら、何度も何度も辞めようと思う。あまりのストレスで過食に走る。あり得ないぐらい食べまくる日々。1日大盛5食。

当時実家から通っていたが、家族が過食を心配して家から食べ物を隠されるくらいであった。逆にそれが反動で見えないところでコンビニに行ってジャンクなものを食べまくる日々。

甘いものがやめられない。1日シュークリーム3個とかも平気。何ならむしろ食べ足りない。板チョコひとかけらのつもりが気づいたら全部食べている。甘いジュースもやめられないんだなこれが。

イライラする。毎日身体がだるくて、落ち込みやすく、朝起きると疲れている。負のループの日々。週に1度は必ず風邪を引き、何度倒れて病院で点滴をしたのかと思うほどであった。週6勤務だけど結局週7勤務の日々。あれこれって14連勤目?みたいなこともザラにある。やっとのことで友達と日程を合わせた有休中の旅行先でも倒れる。救急搬送される。今はネタにしていることだけれども、本当にこの頃は身も心もcrazy状態でとてつもなく危険な状態だった。当時はそれが普通になってしまっていたし、環境がその時の自分の世界を作っていた。自分自身の頑張りが足りないのかなと思って必死に食らいついていたもんだから、無我夢中で自分が全く見えていなかった。でも、心も体もわかっていた。。。毎日が辛いよ、辛すぎる。この頃やっとわかる。


「身体が資本。だって身体が使い物にならなければ、なにひとつやりたいことができない。」

「1番わかってあげなきゃいけない自分自身の心の声、体の声を聴かんでどうするの〜」


いやはやこの頃の生活はものすごい生活で。全てガンジガラメ。頑張って頑張って頑張りまくる。それが全てだと思っていたから。この経験からたくさんのことを学ばせていただいた。心と体にムチをうちまくっていたから。よくこんな自分が長年続いたもんだなと思うけど、純粋に子どもたちが大好きだったし、我ながら天職で大好きな仕事でもあったから離れるのはある意味辛かった。大きな声では言えないけど…

井の中の蛙になると怖くてやめられなかった。でももう心身ともに限界が来ていたし、限界値を越えまくっていた。やめざる終えなくなる。(ギリ円満で終わらせたつもりです)

そういう状況ではありながらも(笑) ありがたいことに、自然育児に携わり、自然に還ることの重要性をしみじみと感じる。自然に触れ、食を変えることで変わっていく子どもたちのビフォーとアフターの変化に驚く。そこで何度もむちゃくちゃ大きく世界が広がる。(このビフォーとアフターの細かい話もゆくゆくしたい…………)

もうひとつの大きな転機が、食の師匠と出逢う。オーガニック。マクロビ。ヴィーガン。ローフード。


毎日体も心も辛くて苦しくて早く抜け出したかった。その状況が辛いのに自分ではどうにもできなくて、「誰か助けて〜」という心の声がダダ漏れていた。神様仏様状態だった私にはもう、、、

「イエスイエスイエスイエス!もう身体が楽になれるなら、何でもやりますやりますやります(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)」状態でした。

ダダ漏れのおかげかありがたいことにこの師匠との出逢いにより、「身体大改造プロジェクト」が始まりました。

「そんな世界ある!!!!?」と思って、むさぼるように身体によいと言われるオーガニック飲食店や身体によいと言われている食事、料理教室、本を読み漁り試す日々。そこから出逢ったご縁でまたご縁が広がる。ここから身体がみるみる変わり始めたんですよ。

この感覚はやった人にしかわからない感覚かもしれないのだけれど、

・3年近く風邪引いてません。

・流行のウイルスもかかっていません。

・大きな病気かかっていません。

・身体が本当に楽に生活できています。マインドもクリアです。

・ポジティブです。

・様々なアレルギー症状が緩和し、今は症状が消えました。

これは「食」を変えた後のわたしです。私が私に戻るきっかけを与えてくれたのが「食」でした。本当に救われたんだよなあ。食を変えることでびっくりするぐらいマインドも変わったので。今もこの学びが大きく私の人生を変えてくれました。(食のことはまた後日ゆっくりと^_^)

自分の生き方について真剣に向き合い始めたのもこの頃。がむしゃらにただ頑張ることが美学ではない世界にいきたかった。自分を何よりも大事にしたいと思ったし、mustまみれの日々に違和感を感じていた。やみくもに頑張ることに懲り懲りしていた。妙に真面目すぎて、たくさんいらない気遣いばかりして、みんなの顔色を見て空気を読むことばかり得意になってどんどんすり減り、疲弊していく。

不器用な性格なりに自分の体力を知り、自分が本当にしたい暮らし、自分が心から望むものについても考え始めていました。

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だから、私は伝えたい。

どんなにお金があっても、夢ややりたいことがあっても、

心と体が元気でないと、毎日が辛い。やりたいこともすきなこともできない。

せっかく同じ毎日を過ごすなら、誰しもきっと軽やかでハッピーでいたいはず。

何が大事かって【 あなたが心身共に ご機嫌であること 】なんです。

毎日ご機嫌であるために、わたしたちが出来ることは、「自分の内なる声に素直になり、その声の通りに体現していく」というシンプルなこと。

1番いちばんイチバン大事な資本の「自分の心と体の対話」と「自分の限界を越えてやりたくないことをやり続けてしまうことへの違和感」に目を向けられていない。その事実がとにかく悲しいんです。

ある種、私たちは頑張ることが美学であると小さい頃から刷り込まれてきている気がします。頑張ることが褒めるべきことの全てではないのです。

ナニソレ、ガンバルッテオイシイノ、、?

何か日々の暮らしの中で、心や体の悲鳴や何かしらの違和感を感じているようだったら、一度日々の生活を見直す時期が来ているのかもしれません。あくまで私がお伝えしたいのは溢れ出た感情に蓋をしないということ。感情に蓋をして押し殺して日々すり減っていく自分を手離しませんか。

大丈夫。あなたが今ここにいる。それが尊い事実。この世界は広い。いつでも如何様にでも舵は変えられる。あなたはあなたの人生の主人公なのです。周りが何をとやかく言おうが周りは周り。あくまで外野。他の誰も責任は取ってくれないから。あなたのご機嫌が何より1番。あなた自身があなたのためだけのご機嫌とりコンシェルジュになる。

あなたはどんな時に喜びを感じますか?好きなことはなんでしょう^_^

自分のご機嫌は自分でとる。自分で自分を満たしてあげる。

何より自分のことを理解して、自分の声を聞いて、その世界をつくってあげる。

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「今」の自分をつくるのも、「未来」の自由をつくるのも、その先の「子どもたちの未来」をつくるのも、全部今のあなたの選択次第。

あなたはどんな「今」、「未来」、「その先の未来」を望みますか?

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私はあなたに元気で心から自由で、ご機嫌でいてもらいたい。

心も体も。生き生きと。

ただシンプルに健康で豊かにやりたいことをモリモリやって、好きなことが溢れる世界で、いつもご機嫌に心身ともに軽やかで生きていたい。そう未来も望む。

その世界が広がったら、どんなに幸せなことなんだろうかと思う。

こんな時代だからこそ、ね。一緒に楽しみたいじゃないですか。

今までの経験から自分の指針になっていることは、

「自分をとびきり満たし、自分のご機嫌を大切にする」
「自分の心からやりたいことをする。したくないことをしない。」
「自分の声を聴き、自分の楽なペースで自分の歩幅で、自分と対話しながら、自分の好きなことで生きていく。みんなと一緒に。←ここ大事。」

今はこういう生き方を選択し、日々体現しています。

1秒ごとに変化していく自分も含め、「生き方も人生起こる全てがコンテンツ。笑」

軽やかにいきましょう。今日もご機嫌で生きましょう。一緒にね^_^


長文を読んでくださり、ありがとうございます。

何かしらピンってきたよって方と繋がれたらうれしいです。。せわしない日々ですから、少しでも自分との対話の何かしらのきっかけになれたらうれしいです。

私がこうやって幸せに豊かに暮らせているのも、今まで出逢ってくださった方々や様々な経験あってこそです。この場を借りて感謝申し上げます。今度は私がいただいた御恩を還元する番。

この世界観は、みんなでつくっていきたい世界なので、ご相談やこんなこと感じたよう☆っていう感想はいつでもお待ちしております。お気軽にね。

引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。


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