子どもを導くのは親ではなく、自分よりちょっと先を行く『ちょい先輩』がいい
子どもにとって『友達』の存在って本当に大きいです。
小学校に通い始めると、1日に7時間以上友達と過ごすことになります。他人を知り、他人を通して自分を知る。また、集団生活を通して、個としての自分を考える。毎日がきっとそんな時間。
らしいです。
これは、大人ももちろんそうですが、子どもは行動も時間も制限されているので、大人以上に当てはまります。
今年の夏、久しぶりに地元で夏祭りがありました。その時のエピソードです。
私の娘(S子とします)は日本と台湾のミックスで、中国語が話せます。で、友達(小5)の女の子に中国語を教えています。Yちゃんとします。
Yちゃんは元々中国語の響きが好きで、自分でYOUTUBEを見て学んでいました。だからか、発音もすごくいいんです。
でね、Yちゃんのお母さん曰く、YちゃんはS子に憧れているそうなんです。「中国語もできるし、英語もできるし、明るくてお友達たくさんいるし。」と。
で、やっと夏祭りの話。
夏祭りにYちゃんとその妹のIちゃんも来てくれました。余興としてステージ上でカラオケができる時間があったんです。
幼稚園くらいの子がトトロの「あるこー、あるこー」を歌ったり、中学生くらいの子が流行りの詩を歌ったりしていました。特定の子たちが何度も歌っている状況。
その時うちのS子と次女のK子が「私たちもTWICE歌っちゃおうか?!」と言い出し、早速予約しに行きました。そうしたら、普段内気なタイプのYちゃんが妹のIちゃんに「ねえねえ、私たちも歌ってみない?」と。
そのやり取りや実際にステージに上がって歌を披露した姿を見て、一緒に来ていたYちゃんのお父さんも、とてもびっくりしていました。
それを見て私はこう確信しました。
さっきのカラオケのケースも、Yちゃんのお父さんが見て、「お前もやってくれば?!」と言ったところで「絶対やだ。」という反応だったのではないかと想像できます。
うちのS子も、麻布高校に通う私の甥っ子(兄の子)に憧れているんです。で、S子も影響を受け、勉強を自分のために頑張ろうと思ってやっているようです。
もちろん同じひとつ屋根の下にいる家族から、その環境からの影響は最も大きいでしょう。
親の背中を見てそうなりたいと思ったり、または反面教師のこともあるかもしれません。
だけど、親はやっぱりどうしたって口出ししたくなるんです。可愛い我が子が苦労する姿なんて見たくないから。
それに親子は年齢も離れていますよね。私は1980年生まれ、長女は2010年生まれ。どうしたって、時代が違いすぎる。「ママが子どもの時はね」とかって話しても、ほとんど参考にならないんです。
それよりも、子ども自身が自分より「ちょい先輩」を見つけたほうがいいと思うんです。その「ちょい先輩」はほぼ同じ年代を生きている人であり、自分の一歩か二歩先を行っているから、自分の次のワンステップの到達地点としてのモデルになってくれる。
その「ちょい先輩」の姿を見たり実際に話したりすることによって、自分自身からエネルギー湧き出てきたり、自分の少し先の未来が楽しく想像できたりする。
そうすることによって、自分の世界はこの半径5メートルではないことにも気づくと思うんです。だって、インターネットでもいくらでも繋がれるし。
また、自分の世界が学校と家だけじゃないって知っていることって、そこでなにか問題を抱えている子どもにとっても大きいと思います。
我が子を見ていて思ったんです。この子たちの道しるべは親である私だけではないって。
この子たちにとっての「ちょい先輩」がいて、そしてこの子たちも誰かの「ちょい先輩」になっている可能性もある。
「ちょい先輩」は年齢はあまり関係ないんです。自分の少し前を歩いている人なら、年下でもいいんです。
大人にもそういうのってありますよね。今の言葉でいうと「メンター」というのかもしれないですね。
なので、そうやって子ども同士が繋がれる場所があればいいなー、自分たちで作ればいいのか、と最近思っているところです。
染
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