日本の大問題は何か?参考図書1:「転落の歴史に何を見るか」斎藤健著

2002年3月に新書刊行され、2011年に増補版として刊行されたものを読んだ。戦前から戦後にかけての具体的なエピソードや当時の重要人物たちの残した考察を広く引用することで、リアリティのある考察が繰り広げられている。このまとめでは、なるべく簡潔に整理するためにエピソードは割愛してロジックだけ抜き出すように努める。

著者の問題意識

斎藤健さんは通産省出身の政治家で農林水産大臣等を勤めた人物。本書の序論には、以下のように書いてある(文庫版p15から引用)。

この本は、戦前の帝国陸海軍の転落の歴史から同じ官僚組織にいる現在の行政マンが何を学ぶべきかという問題意識から出発した。

ここで言う「転落の歴史」とは、日露戦争での戦略的な勝利から第二次世界大戦の敗北に至る歴史を指している。また、現在(2002年)の問題意識の背景として、人口年齢構成の変化、中国の台頭、日本の財政赤字の3つの要因を挙げている。本書では、転落の歴史を振り返ることで、現在の日本を変革するための4つの教訓を示している。

教訓1:ジェネラリストが消えた

日露戦争終結時の日本の首脳陣は、伊藤博文(64歳)、井上馨(69歳)、大山巌(63歳)、桂太郎(57歳)、児玉源太郎(53歳)、山県有朋(67歳)という顔ぶれだった。彼らの世代の特徴は、武士の最後の系譜に属していることだった。

武士の仕事は、政治・経済・社会・教育・科学と多岐にわたる分野の責任者であり、ジェネラリストとして育成されていた。幼少からの教科書は「史記」や「論語」などで、歴史的なスケールで指導者としての姿勢を学んでいたと考えられる。

ジェネラリストの思考様式では、軍事は全体戦略の一手段であり、手段である軍事に全体戦略が振り回されることはなかった。

当時の日本は植民地化される具体的危機の中にあり、彼らは焦燥感を持って日本の近代軍事化を進めた。そして、彼らの優秀な部下となる軍事のスペシャリストが誕生した。結果として、日露戦争の頃には、ジェネラリストの司令官の下に、スペシャリストの参謀が加わり、組織として上手く機能していたと考えられる。

しかし、奉天の会戦から34年後のノモンハン事件の頃には、武士の系譜たるジェネラリストの指導者たちは去り、近代軍事化の産物であるスペシャリストたちが指導者の地位に登っていった。その結果、全体戦略の一手段たる陸軍の権力掌握や暴走が生じたと考えられる。スペシャリストの指導者としては、辻政信東條英機などが該当すると思われる。

教訓2:組織に十分な自己改革力がなかった

2つ目の教訓は、「日露戦争において世界史的な大勝利を収めた大日本帝国陸海軍が、なぜ40年後には機能不全に陥り滅亡したのか?」という疑問から生まれたものである。

この問いに対する結論は、「日本人は組織の自己改革能力を発揮することができなかったから」である。ここに至る背景として、組織論における日本人の弱点を6つ挙げている。

1つ目は、仲間意識という心理である。日本人は人間関係に大きな価値を置き、組織の目的に対する合理性よりも人間関係が良好であることを優先する

2つ目は、異分子と独創性の排除である。これは1つ目の仲間意識の裏返しと言える。太平洋戦争時の井上成美中将による海軍編成の方針など、後世から見ても的確な主張があっても、それが採用されないという傾向がある

3つ目は、学習能力の弱さである。人間関係の摩擦を避け独創性を排除する組織では、やがて「日常の自転」を生み、「思考停止」へと繋がる。経験からの学習において日米の差がはっきりと現れたのが、ミッドウェー海戦だった。

4つ目は、縦割り割拠主義の横行である。当然どの組織にも組織の利益を追求する性質があり、かつてはジェネラリストの指導者たちが全体的見地に立って動かすことで機能していた。割拠主義の象徴的な例として、陸軍と海軍の仮想敵国が事実上統一されていなかったという事例がある。

5つ目は、主義・お題目による支配である。組織の思考停止や割拠主義によって、成功体験に基づく〇〇主義に囚われてしまう。陸軍の白兵銃剣主義や海軍の大鑑巨砲主義がこの例になる。

最後6つ目は、人事のゆるみである。特に、責任追及や厳罰適用のゆるさが挙げられている。例としては、1930年代の三月事件十月事件ノモンハン事件などがある。好対照な例としては、竹橋事件が挙げられている。この背景には仲間意識や縦割り割拠主義があり、この弊害として、指導者自身への責任追及の甘さや、能力主義に基づく人材配置が行われなくなることがある。

教訓3:道徳律の喪失

3つ目の教訓は、ジェネラリストの指導者の喪失と繋がってくるが、彼らが持っていた武士道という道徳律が失われてしまったことだと言う。日露戦争後の日本にも、そして今の日本にもそのような「道徳的緊張」がないと述べている。

道徳的緊張には、「公のために最後のところで踏みとどまる強固な自律の精神」と「その精神を開花させるための冷静なリアリズム」が必要である。指導者だけが持つものではなく、もっと多くの国民一人一人(特にエリートたち)が持つべきものとして書かれている。

(現代に生きる私たちが持つべき道徳律はどのようなものだろうか?)

教訓4:深く洞察した正確な戦史がなかった

教訓4は、教訓2の組織論の中で出てきた、経験から学ぶ能力に関連する。

例として、日露戦争についての公式戦史である「日露戦史」が紹介されている。日露戦史では、司令部の執務における詳細や作戦面での意思決定、軍隊や個人の臆病な行動や失策などについての記述を禁止し、兵站・輸送についても限定的にしか触れられなかった。このように、失敗の教訓を含まず不正確で都合の良い記録だけが残ったことで、太平洋戦争時の「神国日本」という幻想が生まれた一因になったと考えられる。

この日露戦史の事実は、現在の私たちの状況と照らし合わせるとより大きな意味を持つ。私たちもまた、太平洋戦争についての客観的で正確な戦史を持ち合わせていない。

現在に目を向けて:世代論

2002年の刊行の時点で、著者の斎藤健さんは、日本の特徴的な2つの世代を取り上げ、日本に変革を起こす上で、世代による役割分担について述べている。

まずは、団塊の世代(2020年現在70-73歳)である。著者曰く、団塊の世代には破壊・抵抗の遺伝子があるという。抵抗の遺伝子を象徴するのは、団塊の世代の青年期である全共闘運動である。

次に、新人類(2020現在50-60歳)である。新人類は、「オタク」を産んだ世代である。オタクとは言い換えれば独創的なスペシャリストであり、楽天の三木谷さんやマネックス証券の松本大さんもこの世代に属す。

最後に、団塊の世代と新人類の間に位置する「名無し世代」(2020年現在60-70歳)である。名無し世代は、前後の世代に比べて特色が少なく、それゆえに名無しであったが、日本の変革に向けては、方向性を定めるという役目を負うことを期待されている。

著者が2002年当時に期待した世代の役割分担は、以下のようになる。

(1)団塊の世代(2002年当時50代)がその破壊の遺伝子をフル活用することで、既存の制度慣習を破壊する。

(2)名無し世代(2002年当時40代)が、団塊の世代の破壊の後に、日本の行くべき方向性・フィールドを定める。

(3)個性豊かな新人類(2002年当時30代)が新しいフィールドで創造的に活躍する。

(2020年に20代として生きる私から見ると、著者の期待した役割分担は果たされなかったように思う。現在であればどのような世代論を描けるか、いずれまとめてみたい。)

まとめ・個人的感想

現代に生きる私たちがすべきことをまとめると、

(1)ジェネラリストのリーダーを育成しよう!(自分がなろう!)

(2)自己改革能力のある組織構築・運営を行おう!

(3)道徳律を持とう!

(3)太平洋戦争をしっかり振り返ろう!

となる。今後この4点について、さらに調査&整理を進める。

また、個人的な好みとして、もう日本だけを考える時代は終わっていると思う。日本の存続は危ないかもしれないが、人類と文明の存続もまた危ない。noteのまとめでは表現できないが、この本から得られる教訓は、非常に有益なものだった。世界的視野に立って、その中で日本に何ができるのか?この本で得られた教訓を生かしていきたい。


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