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【働き方】ラジオの身体について

こんにちはsomekichiです。

今回は、YouTuberである瀬戸弘司さんとドリキンさんの対談にて、発信者側の「発信するという行為」を「人生」とどう関わらせていくか、ということをメインに語られていましたので、somekichiなりの感想をお話していきたいと思います。


ラジオの身体とは

これは瀬戸弘司さんの造語なのですが、動画を撮る時のスタンスの違いを「舞台の身体」と「ラジオの身体」という形で瀬戸さんは表現されています。

舞台の体=人に見せるための動画の作り方(作った自分)
ラジオの体=自然体でありのままに近い自分

という解釈をsomekichiはしました。

somekichiの捉え方としては「YouTuber」としての瀬戸さんと「普段」の瀬戸さんは違っていて、どうしてもYouTubeを撮影するときに、YouTuberとしての瀬戸さんが強く出てきてしまい、そのことを「舞台の身体」と称しておられていました。

また、普段の自分に近く、よりパワーをかけずに素を出している状態が「ラジオの身体」と称されています。

瀬戸さんがここで悩まれていたのは、これまではずっと「舞台の身体」で発信してきたけど、パワーがかかりすぎてコンスタントに動画をアップすることができない。という悩みでした。


発信者の考え方が変わる時

メディアの発信自体は誰でもできる時代になってきており、どれだけ発信者として質と物量を上げられるかが鍵となっています。

そこでお二人が対談されていた内容のメインテーマの一つとして動画の「質」とは何か?という問題について議論されています。

メディアの質とはなんなんでしょうか?

ドレキンさん曰く、パワーを入れて編集したり「舞台の身体」でいるよりも、「ラジオの身体」でいる方が、動画を見てもらえた。と仰っておりました。

再生回数=動画の質と仮定した場合に、YouTube用にパワーをかけて作った動画より、素の自分を公開した方が「質」が高かったということなのです。


somekichiの考え

発信する側としても、毎日コンスタントに発信するということは大切です。それでご飯を食べて行こうとしている人であれば、物量というものは重要になってくると思います。

そこで、今回の対談で見えてきたものは『パワーを下げ「ラジオの身体」で発信するメディアの数を増やし、且つ「質」もある程度維持していく』という内容でした。

ここで見えた新しい概念として、必ずしも「パワーをかけたメディアが質が高くなるということはない」ということです。

今後の発信者は自分が潰れてしまわないように。「パワーを下げ、質を上げていく試行錯誤」が求められてくると思います。

例えば、自分のやり方やテンプレートを作って、考える時間を省くことや、作業を自動化することでもパワーを下げることに繋がるかもしれません。

somekichiも発信者の一端として、「メディアの質とは」どのようなものなのかは、追い求めていきたいと思いますし、発信する側がメディアのコストパフォーマンスを考えていかなくてはいけないようになって来ているのではないかと思います。


おまけ

瀬戸弘司さんとドリキンさんの対談動画を貼っておきます。とっても面白い内容なので、是非見てみてください!

前編

後編


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