さざなみのよる
ナスミが死んだことから物語は展開していく。
生前のナスミと関わりがあった人が、ナスミの死とそれぞれに向き合っていく。
ナスミになりたかったと泣いた女を前に、私の人生悪くなかったな、とナスミが言う。
何をもって、何を感じてナスミがそう言ったのか真意はわからないけど、私はこう思う。
ナスミは確かに宿っていたから、だから、悪くない人生って思ったんじゃないか、って。
夫、姉妹、叔母、同僚、友人、昔の恋人?、そして産まれきた新しい命に、ナスミは宿っている。
死ぬって、終わりじゃなくて、消えるんじゃなくて、存在がなくなるんじゃなくて、宿ることなのかな。
いや、死んだ人みんながそうなわけじゃないから、正確には、死ぬことで、死んでも、誰かに宿ることができたら幸せな人生と言えるのかもしれない。
何で幸せか?それは、誰かに宿ることで生き続けるから。肉体とはさよならするけど、存在はずっと生き続ける。宿り続ける。ある種の自由を手に入れて。
「それって幸せなことじゃない?」
ナスミに、そう言われてるような気がする。
うん、幸せだ。それってすごく素敵な人生だよね。
宿ることで、生きていた頃よりずっとずっと存在を近くに感じる。一緒に生きている感じがする。
生きてた時はその存在を意識しなかったふとした瞬間に、死んでからはよりその人の存在を意識するようになる。
マンションの5階で、「誤解だ」というナスミからのメッセージを受け取った女。
ナスミが生きてた頃はそんな風に考えもしなかっただろうし、毎回マンションの5階でエレベーターが止まるなんて、誰に行ってもなにそれ?ホラー?ってなる現象だと思う。
でもナスミが宿っているから、それは確かなメッセージになる。
物語に登場する人全てに、心に宿ったナスミとのその後の物語がある。
私にも、亡くなったおばあちゃんの存在が宿っている。消えることはない。
何をするにも、どこにいても、おばあちゃんがいる。そして私は、おばあちゃんの存在を次の世代にも、その次の世代にも受け継いでいく。
おばあちゃんは、忘れないで、と最後に言葉を残した。
死にゆく人の、共通の願いなのかもしれない。あなたの心の中で生き続けたいという、願い。
ナスミは最後に、ぽちゃん、と言った。
ぽちゃん、とみんなの心に宿ったのだ。
ナスミも思っていたのかもしれない、心の中で生き続けたい、と。願ったのかもしれない。愛する人の心に宿りたい、と。
私の人生、悪くなかったな、そう言って私も愛する人の心に宿っていつの日か死にたい。そんな風に思えた本だった。