【考察】音楽、絵、言語のネガティブ要素
以前に『音楽の未来』というタイトルで音と人間の距離の話をしたと思います。
今回は、音楽、絵、言語などの非物質的な概念と人間の関係に着目し、3つの観点から記事を書きます。
音楽、絵、言語。
どれも自然、物質など外的なものに比べ、人間から作り出されるものであり、内的なものとして捉えることができます。
音楽を聴く。絵を描く。言葉を話す。
我々がこの3つの概念に触れる時、可能なこと、またポジティブ要素を意識すると思います。
しかし、逆にこれらには向いていないものもあり、ネガティブ要素もあります。
今回、考察する3つの観点を挙げます。
◉音楽から見ていきましょう。
音楽は、それ自体に意味を持ちません。
音の羅列にすぎないということです。
「いやいや、歌詞とか情報じゃないの?」
それは、あくまで言語を付属したものであり、音楽を音として捉えるなら、後発的産物です。
◉絵。
絵は真実を写したものであり、そこには作り手の意志が介在します。
「いや、写真は真実でしょ!」
英語では絵、写真はpictureとして捉えられます。
しかし、人間が介在するのは同じです。
有名な風刺画があります。
絵を描く。写真を撮る。という行為に着目すると
それらは対象が存在します。
ここでは、「何を?」の対象、被写体ではなく、
「何に?」の対象
洞窟の壁、紙、カメラのフィルムなどです。
記録媒体と言いますね。
それらが、自ら絵を書き出す、写真を記録する、なんてことはありえないですよね。
つまり、紙、フィルムなどは人間の手に委ねられたもの、これはありのままの真実とは呼べないでしょう。
何を書くのも、切り取るのも人間次第。
「いや、写実じゃない絵もあるんじゃ。。」
人間は頭の中で想像しているものしか描けません。
それゆえ、描かれたものが現実とはかけ離れていても、想像を絵として写すということに変わりはないと思います。
もう一つ、
「人間を介在するというのは、音楽や言語にも当てはまるのでは?」
その通りです。
しかし、音楽や言語ではその意味合いが変わってくるのです。
先ほど、音楽は、それ自体に意味がないと書きました。
音楽は創作であり、写実のようなデータの役割を持っていない、
それゆえ、真実を写す必要がないので、偽りもない。という感じです。
言語に関しては、
それ自体が思考を共有するデータであり、言語そのものには、偽りはありません。
ただ、それが文になると、人によって見方が変わります。
そして、騙される人がいる。
この事象が起こり、初めて「偽り」が生まれます。
例え、言語が真実に背いていても、誰も騙されたことに気づかなければそれはただの情報のデータに過ぎません。
それ自体が「偽り」である絵と異なり、言語は「偽り」を生むものです。
さらに、わかりやすく言うと、絵はそれ自体が評価対象になるのに比べ、言語は言語で生まれる文が評価対象となるのです。
面白い言葉があります。
これは言語学者、哲学者のノーム・チョムスキー氏が『言語理論の論理構造』という論文で提示した言葉です。
え、もしかしてこの文の意味わからない?
私もわかりません。
そう言うことです。
この文は、文法的には全く問題がない文です。
しかし、意味として成り立たない。
つまり、言語は意味として成り立つことで初めて評価対象となり、「偽り」が生まれるのです。
この流れに続いて、言語について見ていきます。
言語は、情動表現に不適と書きました。
正確には、情動を包括できないのです。
先ほども、述べたように言語は思想を共有するデータです。
情動を表す言葉は多くあります。
「悲しい」「苦しい」「嬉しい」「痛い」
しかし、人間は悲しい時に、ただ「悲しい」と連呼して、情動を消費するような生物ではありません。
悲しかったら、海に行く。
友達と話す。
泣く。
情動を言語として消費するのではなく、何かしらのアクションを通し、情動を消費します。
つまり、言語は人間同士の思考を繋ぐためのデータ、また媒体であり、物質的なものを区別するには便利ですが、データの大元である思考、情動が曖昧なものであるため、抽象的という言葉があるように、
あくまで言語における情動表現は、情のエネルギーの方向をわかりやすくしたものにすぎません。(こんなことを言うのは本末転倒ですが)
さあ、
最初に示した三つを解説しました。
最初に述べたように
どれも、それぞれのネガティブ要素です。
なぜ、ネガティブ要素か。
それは、正しい(とされる)使い方、定義を、我々は知っているからです。
音楽は、音の羅列。情動表現。
絵は、現実、空想の写し。
言語が、会話として使われる。文を成り立たせる。
そりゃあそうですよね。
音楽、絵、言語。
最初にも書きましたが、これらは非物質です。
脳から生成されるものを、作品、会話ツールとして落とし込んだものであり、
人間が人間であることを示すアイデンティティと言ってもいいかもしれません。
情動表出としての音楽。 ⇔ 意味の欠如。
再現としての絵。 ⇔ 偽り。
意味としての言語。 ⇔ 情動の欠如。
当たり前のものは当たり前と認識している、
生まれた時から前提がある状態で生きていきているため疑問を感じないこともあると思います。
今回は、そんな負の要素に着目することで、新たな視点が提供できたのではないかと思います。
以上でしゃ。
「音楽、絵のような作品と比べるなら言語ではなく、詩や小説でいいのでは?」
と思うかもしれませんが、
言語は人間にとってあまりにも身近な概念です。
そのため、それ自体、人間が作った一種の作品であるという認識でこの記事を書いてます。
情動、再現、データへのアプローチとして脳から最も近くにあるのは、
音楽、絵、言語
だと思います。
これら3つを作り出す元を辿ることで、人間の構造を理解するのも面白いと思います。
では、今日はここまで。
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