歪んだポジティブは他人を苦しめるだけのエゴじゃないか?
ポジティブで在るというのは、好ましいことである。
ただ、ポジティブを他人に強要し始めると、それは臭いものにフタをして黙らせるだけの、暴力的なまでのエゴなのではないだろうか?
相手の不安を矮小化して黙らせるだけのポジティブ
昨日母に
「最近知ったんだけど、出産費用は保険適用じゃないし、麻酔を使うには追加課金が必要だし、出産一時金でも全額賄えないんだね!?少子化がこんなに長いこと問題視されているのに」
と吐露したら、
『でも、もらえるだけ嬉しいって考えられない?ポジティブだよ!』
と言われて、思わず閉口した。
もう自分には関係ない問題だから、理解する必要もないし、そもそも気にしたこともないからそれがどんなに理不尽か理解すらしたくないのだろう。
娘である私が本気で呆れ、国の将来を憂慮してることには目もくれず、臭いものにフタをして黙らせたいというエゴが先行したことに、私は悲しみと絶望に似たものを感じた。
(母は昔から私の感情より自己愛が優先するタイプだったので、慣れてると言えば慣れてはいるが...)
ポジティブは押し付けた時点でネガティブなエゴ
自分がポジティブ思考であろうとすることは好ましいと思う。
また、他人がポジティブであることも好ましく思えるし、ネガティブなことばかりいう人よりポジティブな人と話している方が気持ちが楽だ。
ただ、だからといってポジティブで在ることを強要してしまったら、それは相手の感情を押し込めて黙らせるだけの暴力ではないだろうか。
むしろその行為はネガティヴとすら言え、押し付ける側にしか得のないエゴである。
ポジティブを押し付けられたとて、相手の感情は落ち着かない。むしろ逆撫でしてしまい、より「誰にも分かってもらえない」というネガティヴを増幅させるだけなのだ。
相手をポジティブにさせたいなら、いわば悪手中の悪手と言える。
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「ポジティブであることが好ましい」という事実が拡大解釈され、ポジティブであることを押し付ける人や、ポジティブであらねばならないと思い込んでいる人が多い気がする。
この記事を読んだ人が、1人でも「あ、そうだよな、黙らせる目的のポジティブにネガティヴな感情を抱いても良いんだよな」と思ってくれたら嬉しい。