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「甘えられない」についての研究

最近の悩み「人に頼れない」「素直に甘えられない」についていろいろ調べたり、他人と話したりした。

今回は、「甘えられない」自分をどうにか社会に適応させるべく、考えたソリューションを展開させていただきたい。

「頼る」と「介護」は違う

仕事でも恋愛でも、人に頼るべきポイントが分からない。自分でできることは自分でやるべきだと教えられてきたし、それが染み付いているからだ。

じゃあ自分ができないことを頼ればいいのでは?
とも考えたのだが、現代はググればだいたい万物のやり方が掲載されているし、真に「自分にできないこと」などほぼないと言える。

そんなくだらない相談を友人にしたら、
「できないことをやってもらうのは介護なのでは??」
と言われて、ハッとした。

そうか、確かに、自分にできないことをやってもらうのは「介護」だ。人を頼るっていうのは、「自分でもできるけど、依頼したり協力したら効率が良くなること」を指すのか。そう思うと合点がいった。

仕事で言えば、機械オンチな私が効率化ツールを1から作るよりも、機械に長けた同僚のツールを真似させてもらった方が、結果的に全体的な効率も良くなる。

恋愛で言えば、たとえば同棲していたとしたら、出来ることは全部自分でやろうとせず、お互いの得意な家事を優先的に分担したほうが効率的だ。仕事で帰りが遅くなるとき、自分の分担をこなすのは不可能ではないけど、あらかじめ相手に依頼した方が効率的である。

「自分で出来るし」と思って素直に甘えられない私のような人間は、「甘える」を「外注する」に置き換えるとすんなり甘えられる気がする。

奢られるのが申し訳ない

男性と二人で食事に行くと、奢ってもらえることが多い。

父親ほどの年齢の上司なら「やったー!夕飯代浮きます〜助かります〜!」なんてハッピーオーラ全開で気持ちよく奢ってもらえるのだが、年齢が近いと申し訳無さで死にたくなる。

奢ってくださる気持ちはとても嬉しいし、食費が浮くのはそりゃあとても助かる。
でもなんだろうこのモヤモヤは。
別に自分も稼いでるのだからプライドが傷つくとか、そんなことはない。プライドが生まれるほど稼いでもいないから。
この謎のモヤモヤについて、いくつか考えられる原因を上げてみる。

・こっちも楽しかったのに申し訳ない
・男女平等だなんだ言ってるのに、こういうとき女である自分が得するのが申し訳ない

「上げてみる」といった割に少ないが、私にとってこれが結論だと思う。普段からツイッターに入り浸ってる私は、奢り奢られ論争男女平等の話題を日々目にしている。この話題に関しては、終身雇用もオワコン化し、私だって会社員として稼いでいるのだから、食事代くらいフェアに払うべきだというのが私のスタンスである。そんな中で、自分が「男に奢られる女」であることが、なんだか許せないのだ。

許せない、とは言っても、男が飯代を出すのは一種の男尊女卑だ!とかそういう強い思想的な理由ではない。フクザツな女心と言って片付く程度の小さなモヤモヤである。奢ってくれる気持ちはとても嬉しいのだから。ただ、奢ってもらっちゃってる自分が、なんだか許せないという気持ち。実にフクザツである。

で、本題だが、その気持ちに少しケリを付けられそうなソリューションを見出した。それがこちら。

「男性だって『男だったら奢るべきなのか?』みたいな葛藤があるはず。そのめんどくさい葛藤を金で解決できるならと、奢って済ませてるのだ。と考える。」

男性が、皆このような理由で奢ってるかどうかは分からない。しかし、私が男だったらたぶんこういう理由で奢ると思う。


「甘えられる」立場になって考える

相手の気持ちを考えましょう。

昔から再三言われてきた言葉だが、私はとにかく「人の気持ち」や「普通こう考える」を理解するのが苦手だ。だから心理学科に進んだのだが、知れば知るほど「人の気持ちは分かりっこない」という結論が強固になるばかりだった。

だから、「甘えたいけど甘えられない」と悩むなら、分かりもしない男心やら人の気持ちやらを考えるよりも、「自分が甘えられる立場だったらどうされたいか?」を考えた方が近道だと思う。

私が身長170センチあったとして、目の前の身長150センチの人が脚立などを駆使して高いところのものを取ろうとしていたら、「私に頼めば早いし安全なのに...」とハラハラしてしまう。私が筋肉隆々だったとして、痩せ型の人が重いものを運んでたらやはり「私に頼めば早いし安全なのに...」と思う。

これらも低身長や痩せ型の私からしたら「私だって不可能ではないし、ナメんなよ」と思ってしまうが、自分より適任である人の気持ちを考えると、その人のハラハラした気持ちを取っ払ってあげるつもりで、頼って見ようと思える。

奢ってもらうときも同様に。
私が奢る理由はだいたい「お金ないって言ってたのに会いに来てくれたから」か、「年上として先輩風吹かせたいから」か、「ふだんこの金額では収まらないほどお世話になってるから」のいずれかだ。だから別に「奢ってあげた」ことで相手に「貸し」が出来ることはないと思っている。
奢られるときは「借り」みたいな、負債を負った気持ちになる。でも、相手も何らかの感情やら面倒を埋めるように奢ってくれていると思えば、素直に感謝もできるかもしれない。

また、私は無意識に「奢ってもらっちゃってすみません...」と言いがちだが、奢る立場になれば「わーい!ありがとうございます!」と素直に喜んでもらったほうが嬉しい。

人に「甘える」というのは私みたいな人には難しい行為だが、「相手の立場になって考える」ことを意識するとむしろ甘えた方がいい場面に気付くかもしれない。

「恋愛テク」だの「男心をくすぐる」だの「本当に仕事ができる人は頼ることも得意」だの『どう見られるか』は置いといて、肩の力を抜いて自分だったらどうされたい?を考えるようにしたい。



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