せめて図々しくなりたい
私は自分に自信がない。そして遠慮がち。
基本的に自分には「良い思い」をする資格がないと無意識に思っている。
幸い社会人としてなんとかやっていけてるので、これからもなんとかやってく為にも自信の無さは隠してはいる。
「こんなだめな人間が居たら迷惑ですよね、死にます」と言って同情を引きたい気持ちはあるが、ちゃんと我慢してる。
優しくされて「私なんかの為に気を使う必要ないですよ」と思っても、グッと力を込めて「アリガトウゴザイマス」を言ってる。
友達と高いブランドの話になれば「こんな高価なもの、大した人間でもない私が持っちゃいけないんだよ」と言いたくなるが、もちろん言わない。
高いレストランに行く話になったら、緊張するとかいうレベルではなく、本当の意味で「敷居が高い」。払うお金はあるから黙ってついて行くけど、とんでもなく悪いことをしている気がする。
一人で外食することもあるが、4桁行く高い料理は自分一人のためになんか払えない。
こうやって感情を押し殺して社会に適用してきたから、「まとも」だと思われている。でも仲良くなった相手には、自信のない私が飛び出す。それでまた「嫌われたかな」「めんどくさいと思われたかな」と実態のない悩みにずっとずーっと落ち込む。
「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」、略してさびレズという漫画の主人公もこんな感じだ。でも、彼女は社会人経験も男性経験もなく、私なんかよりもっと辛い状況だ。
...ほら、こうして、「共感して気持ちよくなる自分」を否定する癖が出てきた。
同じ「ウザイ性格」なら、せめて図々しい性格だったら良かったのに。図々しいとウザがられるけど、図々しいからきっとそんなのもお構いなしだ。ウザがらない人と仲良くすればいい。失礼かもだが、ホリエモンとかめっちゃ羨ましいよ。
図々しくしたいなら図々しくすれば??
と自分でも思うのだが、それはヒンドゥー教徒に「牛肉食いたいなら食えば?」と言ってるようなもの。隠れキリシタンに「殺されたくなければ絵くらい踏めば?」と言ってるようなもの。いやどうだろう違うかもしれない。
とにかく、禁忌を犯して自分に自信のあるフリをしても、結局いつもより「嫌われたかも!!!」と悩む度合いが高くなるだけなのだ。
嫌われないかなとか、自分にはそんな資格ないとか、そんなこと考えずに図々しくなれたらいいのに。