早く死にたいが口癖のようだったけど、 いざチャンスが巡ってくると怖気ついてしまうのは、まだ明日への希望を持っているからでしょうか。 こんな自分が夢や希望、理想を胸に抱きながら生きたいと思うのは、贅沢なことだと分かっています。 ただふとした時、誰にも迷惑をかけず、真面目に生きてきただけなのにこんな仕打ちはあんまりだと思わずにはいられません。 普通に生きたい、幸せになりたいと思うのは、いけないことなのでしょうか。 空虚に問いても答えが返ってくることはなく、 幸か不幸か明日
この私だけの深い悲しみを、いったい誰に共有したらこれ以上孤独ではなくなりますでしょうか。 神様が忙しいのでしたら、どうか救世主を遣わしてください。救いようがないのなら、どうかそちらに向かうのをお許しください。これ以上もう何も考えたくも感じたくもありません。 そう思う一方で、私はこの感情が誇らしいかのように一時も手放すことができず、悲しみは最早私のアイデンティティと化している。
たまたまInstagramを見ていたところ、ジブリの名作『耳をすませば』の英題が、『whisper of the heart』だと知った。 耳をすませば心の囁きが聞こえてくる。 初めて題の意味をしっかり知ることができて、SNSも悪くないなと思えた。